日本時間の3日未明に行われたパリオリンピック™のフェンシング男子エペ団体の決勝で日本代表はハンガリーと戦い、1ポイント差で惜しくも金メダルを逃しました。
リザーブで代表に選ばれオリンピック初出場となった新潟市西区出身の古俣聖選手(26歳)が大活躍。新潟県勢初のメダルを獲得しました。

3人でそれぞれが戦いその合計ポイントで勝敗を競うフェンシング団体戦。
男子エペ決勝戦の相手は、地元フランスを破って駒を進めたハンガリー。
日本チームは、山田優と、エペ個人で日本人初の金メダルに輝いた加納虹輝、そして古俣聖の3人で挑みました。

古俣聖選手は第3・5・7試合に出場。
日本3点ビハインドで迎えた第3試合で古俣選手は、スピードとテクニックで流れを引き寄せ、6-7と1点差に迫ります。
第5試合では引き分け、第7試合では好調のハンガリー・コッホ選手を5-3と下し、ハンガリーに1点差まで迫る活躍をみせました。

その後2点ビハインドとなった日本の最終第9試合で、全てを託されたエースの加納選手は、残り24秒で1点差、そして土壇場で同点に…。
先にポイントを奪った方が金メダルとなる1分間の延長戦までもつれ込みましたが、わずかにハンガリー選手の突きが早く決まり、日本は25-26で惜しくも金メダルとはなりませんでした。

パリオリンピックで新潟県勢初のメダル獲得となった古俣聖選手 ―
「銀メダルを取ることができてとっても嬉しいんですけど、最後が本当にギリギリのところの勝負だったので、金メダルとれなかった、金メダル取れなかった悔しさもあります」

新潟市西区では、父・治久さん(70歳)が息子・聖選手を見守っていました。
「最初の試合は見ててもう、ガチンガチンだなって。それで緊張しているのがわかって、これヤバいなと…」
「2試合目くらいから良くなって、3試合目が一番良かったですね、決勝戦が」
「お疲れさまでした、ですね。これからどうするの?っていうのが一番興味ありますよね」

新潟県勢で初となるオリンピック銀メダル獲得となった古俣聖選手の活躍を受け、JR新潟駅では早速“号外”が配られていました。

「新潟の人が勝って嬉しいです」
「私も高校の時に部活で少しフェンシングをやったので、当時の日本のフェンシング界からすると、すごく想像もできない画期的なこと」

オリンピックでのメダルを目指し、子どものころからフェンシングに打ち込んできた古俣聖選手。リザーブで選ばれたパリで、その夢を一つ叶えました。

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