7月31日に閉店した、岐阜県唯一の百貨店「高島屋」。47年の歴史に幕を下ろした最終日を取材しました。

きのう(31日)、47年の歴史に幕を下ろした岐阜高島屋。最後の瞬間を見届けようと、店の前には多くの人が集まりました。

「ありがとう!」
「悲しい。私の青春ですよ、ここ」

岐阜高島屋が開店したのは1977年。

食料品やブランド品など幅広い品揃えで、長年地元に愛されてきました。しかし、業績の悪化や建物の老朽化などにより閉店を余儀なくされ、岐阜県にたった一つの百貨店が姿を消すことに。

地元のシンボルを失う、柳ヶ瀬商店街への影響は計り知れません。

(佃煮専門店)
「(岐阜高島屋は)僕にとっては集客してくれる存在。なくなるのは大打撃」

(時計修理店)
「(売り上げに)すごく響く。みんなが見に来られるものができないと困る」

「高島屋命、愛してやまない」午前2時半に起きた常連客は

そして、営業最終日のきのう(31日)。店の前には、開店前から約1000人もの人たちが。

Q:何時から来た?
「午前4時。高島屋命だから、愛してやまない」

岐阜市在住の赤堀紫さん(56)。午前2時半に起きて一番乗りしました。

(赤堀さん)
「(閉店は)どうしてや、なんでやと。こんだけ貢献しとるやんかと。きょうは予算は無制限、上限なし」

そして、午前10時。

「大変お待たせいたしました、いらっしゃいませ」

開店から47年ということで、高島屋の包装紙の柄でもある「バラ」が、先着で470本配られました。最後の買い物を楽しむ人たち。中には従業員に感謝の思いを伝えに来た人も。

「御座候」は大行列! 開店からの年数と同じ47個購入

一方、こちらは地下一階にある「御座候」。

開店から1分足らずで早くも行列が。先ほどの高島屋を愛して止まない赤堀さんも、急いで列に並びます。

Q:すごい人数ですね?
「ビビりました」
Q:一番に並んでいたのに?
「このありさま…」

地下一階から始まる行列の最後尾は…なんと2階にまで及んでいました。この店で人気を集めるのは、あんこがたっぷり入った大判焼き。

Q:何個買う?
「きょうは…41個。47個にしようか(開店から)47年だし」

急遽予定を変更し、開店からの年数と同じ47個もの大判焼きを買うことに。

(赤堀さん)
「ほかでは味わえない皮とか、あんこの充実さはここならでは」

並び始めて30分、岐阜高島屋に到着してからは6時間30分。ついに…

(赤堀さん)
「重い!ずっしり重みを感じました。7000円分も使っちゃった」

Q:早起きした甲斐はあった?
「ありました」
Q:岐阜高島屋の閉店はどう思う?
「もう大好きすぎてどうしよう…明日から」

多くの人が列をなした店は他にも…。

「泣かないと思っていたけど…」

岐阜高島屋の開店時から営業しているラーメン店「あかさたな寿限無亭」。

かつては全国に30店舗以上あったということですが、ここが最後の店に。移転先の物件も見つかっていません。

(客)
「生まれが柳ヶ瀬で何十年ぶりにお邪魔しました。懐かしいですね、味は全然変わっていないです。さみしいですね」
「(息子が)最後なので2つ食べたいって(笑)」
「閉店となると今度どこに行ったらいいかしらと思う」

そして、午後4時。

(客)「お疲れ様でした」
(従業員)「こちらこそありがとうございました。終わってしまいましたね…」

最後の客が店を後にすると…

(従業員)
「あかさたな終了させていただきます。ありがとうございました」

お客さんからは「ごちそうさまでした」と拍手が送られます。

(従業員)
「すごく楽しかったですし、お客さまがみんな『ありがとう』とか『ご馳走様』『お疲れ様でした』と言ってくれて感慨深い。泣かないと思っていたけど泣いちゃいました」

岐阜高島屋と共に歩んだ47年。懐かしい味で多くの人に愛された老舗ラーメン店が一足早く、その歴史に幕を下ろしました。

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