パリ五輪で、中国国民の反発、とりわけネットユーザーの反発を呼ぶ事態が起きている。それは、禁止薬物への対策=反ドーピング。中国の競泳選手団に対するドーピング検査の在り方だ。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長が8月1日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、「過去のドーピング違反に加え、現在の中国という国家が『国際社会共通のルールを守っていない』という目は、少なからずある」とコメントした。
中国代表選手もネットの声に敏感
熱い戦いが続くパリ五輪。7月末までで印象に残ったシーンといえば、やはり体操の男子団体総合だろう。6種目のうちの最後の1種目「鉄棒」で、それまでトップだった中国を、日本が大逆転し、2大会ぶりの金メダルを獲得した。
最後まであきらめない、という選手5人の強い意志がもたらした金メダルだ。一方、その「鉄棒」で、中国の蘇煒徳(そ・いとく)選手が2回も落下し、大きく減点されたことも、勝敗に影響した。演技を終えて呆然とする蘇煒徳選手は、かわいそうで見ていられなかった。
その蘇煒徳選手が競技を終えたあと、記者会見に出席していた。その動画が中国メディアで流れている。彼は、言葉を絞り出すように語っている。
「きょうは大きな失敗をしてしまいました。思い通りにいきませんでした」
「僕は…(数秒)。ごめんなさい…」
数秒間おいて、やっと口から出た「ごめんなさい」の言葉。自責の念。それとほぼ同時に、すぐ隣にいたチームメイトの張博恒(ちょう・はくこう)選手が言葉を発した。
「僕の方から話しましょう。競技において、失敗は個人の責任ではありません。誰もが、いつもとは違う心理状態になってしまうのです」
掴みかけた金メダルが、スルリと逃げていった。仲間をかばう心遣い。張博恒選手は、この記者会見で、こう続けた。
「中国のネットユーザーの皆さんはいつも、僕たちを励ましてくれています。とても感謝しています」
「鉄棒」で失敗した蘇煒徳選手が、ネット上で攻撃の対象になりかねない。張博恒選手はそれを知っているから、選手を責めるな、と訴えたのだろう。どの国も、ネットの声には敏感だ。
「狙い撃ち」のドーピング検査にネットユーザーが反発
実はパリ五輪で、中国国民の反発、とりわけネットユーザーの反発を呼ぶ事態が起きている。それは、禁止薬物への対策=反ドーピング。中国の競泳選手団に対するドーピング検査の在り方だ。ことの発端は、ドーピングの国際検査機関(ITA)が五輪開幕前、中国の水泳選手が今年に入って600回を超える検査を受けている、と会見で明らかにしたことからだ。
話は3年前にさかのぼる。2021年東京五輪の数か月前のことだ。やはり中国の競泳選手23人が、国内大会で採取された検体から禁止薬物が検出された。だが、この事実は伏せられ、中国の競泳選手は五輪出場を認められた。このことが今年4月になって、米ニューヨーク・タイムズなどの報道で明らかになった。
中国選手から陽性反応が出た薬物は、トリメタジジン。この薬物は、血流が増加し、持久力のアップに効果がある。このため、世界反ドーピング機関が定めた禁止薬物リストに載っている。ところが、中国の競泳選手23人が東京五輪前に、トリメタジジンの陽性反応が出ながら、東京五輪への出場が認められたのだ。
中国側は「選手宿舎のキッチンの汚染が原因だった」と説明している。確かに宿舎の調理場からは禁止薬物が検出されたという。このため、選手を処分せず、世界反ドーピング機関もこの説明を容認した。
話をパリ五輪に戻そう。中国の競泳チームがパリに到着して以降、10日間で延べ200人近くが、ドーピングの国際検査機関から、検査を受けていたことが明らかになった。このことが、さきほど紹介したように、中国メディアの不満を呼び、国民の反感を燃え上がらせた。
中国代表競泳チームの選手は男女で総勢31人。選手延べ200人近くに対してドーピング検査を行ったということは、平均すると、同じ選手が6回~7回も検査を受けさせられた、ということだ。ほかの国の代表選手に対する検査に比べ、突出している。中国競泳チームの栄養士が、中国メディアの取材に、このように答えている。
「選手31人のうち、毎日20人近くがドーピング検査を受けた。同じ選手が1日5回から7回のドーピング検査を受けたこともあった」
「ベッドで寝ている早朝6時に、ドーピングの検査員がやって来た。午後に休憩している時だって。さらには夜の9時を過ぎても、抜き打ち検査があるので、夜中まで寝ることができない。時差ボケや練習の疲労を感じているというのに、だ」
このコメントは、中国のメディアに載っていた報道からピックアップした。報道を読んだ中国の国民は当然、「なぜ中国だけ、不公平な扱いを受けるのだ」と怒りを募らせることになる。
それにしても、どうして中国の競泳選手に、ドーピング検査を繰り返すのか? パリでの記者会見で、中国のジャーナリストたちも、そんな疑問を投げかける。「トレーニングや休息に悪い影響を与えないか。多過ぎないか」という疑問だ。ドーピングの国際検査機関の言い分はこうだ。
「中国の競泳チームには『問題がある』という一部の報道がありました。我々はすべての国のアスリートを、安心させるため、検査を実施しています。オリンピックが公正かつ、公平であることを証明するための取り組みの一環です」
とはいえ、ただでさえ、観る方も熱くなるのが五輪。応援する中国の人たちはこの説明では納得できるだろうか?
スポーツにとどまらない“中国の振る舞い”と関り
私は、今回の騒ぎの根っこは、単にスポーツの世界にとどまらないと考える。つまり、国際社会における、中国の“振る舞い”と関係ないようには思えない。
2012年のロンドン五輪で、2つの金メダルを獲った中国の男子競泳選手がその後の国内大会のドーピング検査で、トリメタジジンの陽性反応が出た。そして、3か月の出場停止処分を受けた。しかも、この選手は2018年、ドーピングの抜き打ち検査を妨害したとして、さらに4年間の出場停止処分を受けている。競泳のほかにも、中国は過去、陸上競技などにおいても、ドーピング違反を数多く犯してきた。いわば“前科”が多いから、疑いの目を向けられる。
さらに、過去のドーピング違反に加え、現在の中国という国家が、「国際社会共通のルールを守っていない」という目は、少なからずある。これは事実だ。南シナ海や東シナ海での海洋進出は分かりやすい。また、ウクライナへの戦争を仕掛けたロシアを多くの国が非難する中、そのロシアとのビジネスを活発化させ、ロシア経済を支えている。中国の競泳チームへのドーピング検査の徹底は、そんな国際社会からの目と連動しているようにも思えてしまう。
とはいえ、中国のファンは、やはり受け入れられないだろう。「中国だけが狙い撃ちにされている」「不公平だ。我々は見下されている」。――。中国のインターネット上にはそんな声があふれている。そこには近現代史において、「欧米や日本から食いものにされてきた」「自分たちはずっと被害者だった」という歴史に絡んだ感情も背景に存在する。そんな感情は「だから、強くなければならない」という、狭い意味での愛国主義と容易に結びついてしまいがちだ。パリ五輪では、競技会場の外でも、さまざまな“戦い”がある。
◎飯田和郎(いいだ・かずお)
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。
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