終戦から今年で79年。岩手の隣、秋田県の大館市では、強制的に連れてこられた多くの中国人労働者が過酷な労働と虐待によって命を落としました。「忘れてはいけない」という思いのもと今も市民によって慰霊が続けられています。

秋田県の北部に位置する大館市。かつては鉱山の街として栄えた花岡地区は、太平洋戦争中に986人の中国人が強制連行され、鉱山や工事現場での過酷な労働の末に419人が亡くなりました。
中でも悲劇的な出来事として語り継がれているのが、終戦間際の1945年6月に起きた「花岡事件」です。

飢餓と虐待に耐えかねた中国人労働者が逃亡を図り、獅子ヶ森と呼ばれる山に逃げ込みましたが、警察や憲兵隊に捕まりました。


中国人労働者はこの後、縛られたり炎天下放置されたりして、暴行や拷問を受けた100人以上が死亡したと言われています。

大館市は中国人労働者が逃亡した6月30日に毎年、慰霊式を行っています。


今年も多くの市民が参加し犠牲となった中国人労働者を追悼しました。

(大館市 福原淳嗣市長)
「二度とこのような過ちを繰り返してはならないとあらためて心に強く誓うものであります」

終戦から5年後の1950年に最初の慰霊式を行ったのは、大館市と合併する前の旧花岡町で町長を務めていた山本常松さんでした。
花岡事件の伝承活動を行う川田繁幸さんは、日中両国の関係回復を願った山本さんについて次のように話します。

(花岡平和記念館 川田繁幸理事長)
「ここで亡くなった人たちを慰霊しないといけないという信念が強くて当初は自費でやったこともあるらしいんです。慰霊式をやってた」

1950年に最初の慰霊式が行われたのが市内にある信正寺です。

(信正寺 蔦谷達徳住職)
「昼になればこの銀杏の木の下で休憩してそこで食事をとると」

住職の蔦谷達徳さんは、中国人労働者たちが、寺の近くを流れる花岡川で土木作業に従事し、昼になると寺の境内で休んでいたと先代の住職の父親から聞かされてきました。

蔦谷さんは、戦争や事件の記憶が薄れていく事を危惧しています。

(蔦谷達徳住職)
「過去のこと、または別世界の話というふうに考えている面があるんじゃないかな。これは花岡だけじゃなくて、ほかの立場の違う地方の方でもそういう感じになっているんじゃないか。そのへんは戦後80年の大きな壁になるんじゃないかと危惧している」

こちらは事件を後世に語り継ぐため2010年に開館した花岡平和祈念館です。

川田さんが施設を運営するNPO法人の理事長を務めています。

(川田繁幸理事長)
「過去の事実を直視するというのは、最終的には本当の意味での友好交流を作っていくことです」「各地で同じような事例があると思うので、関心を持って調べてみてほしい」

2024年の慰霊式には中国から2人の遺族が参列しました。
周長明さんはこの地で祖父を亡くしました。
家族を失った悲しみは何年経っても癒えることはありません。

(周長明さん)
「私も孫が出来ました。毎年の正月、清明節に子どもや孫を連れて先祖のお墓参りをするときに、祖父の墓を見るたびにかつて私の家族が日本の軍国主義によって受けた被害を思い出します」

それでも大館市で市民が続ける追悼は、確実に両国の友好関係の一助となっています。
張恩龍さんが慰霊式に参列するのは今回で10回目です。

(張恩龍さん)
「新型コロナウィルスの影響で来られなかったが、大館市では市民の皆様が毎年必ず慰霊式をやってくださっていることに、私たちは本当に感謝しています」

終戦と花岡事件の発生から2024年で79年。

平和を築くためには過去の事実から目を背けず向き合うことが大切だということを大館市花岡地区の取り組みは伝え続けています。

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