宮城県七ヶ浜町で行われた耐久レース・トライアスロンの大会。海を泳ぐスイム、ロードを走るバイク、ランと鍛え抜いた体と精神力が試される競技です。この大会で、唯一パラ競技で出場した女性がいました。今回のヒーローは、パラトライアスロン小釜莉代選手です。

挑戦し続ける小釜莉代選手

元々は陸上競技一筋で、パラ陸上女子1500mの日本記録保持者でもあります。そんな彼女が一転、38歳のときに全くの未経験であったトライアスロンへ挑戦。新たに踏み出した一歩、そしてその先に見据える未来は…。

仙台市若林区の河川敷。小釜選手は普段よくここで練習をしているそうです。

パラトライアスロン 小釜莉代選手:
「バイクは1日70キロとか。バイクの日はバイクって決めて走れるだけ走って。ランは1日10キロくらい。スイムは2500、3000mいったらいい方ですね」

彼女が取り組むのは、「スプリント」という総距離がおよそ30㎞の種目。トライアスロンの中では短距離走とも言われますが、その分スピード感が求められます。

小釜莉代選手:
「(子どものころから)かけっこは基本一番しかとったことなくて。やっぱり気持ちいいので、走るのが。一番でゴールするっていうのが」

小釜選手は京都府出身。先天性の左上肢機能障がいがあります。

東北大学理学部進学をきっかけに宮城にやってくると、大学の陸上部ではキャプテンも務め、陸上選手として活躍しました。陸上一筋だった彼女が2年前にパラトライアスロンの道へ。そのきっかけは意外なものでした。

新たな挑戦のきっかけとは

小釜莉代選手:
「子供が1歳の時に…、赤ちゃんってできることどんどん増えていくじゃないですか。それを見て、自分もやりたいことをやりたくなって。憧れみたいな存在でトライアスロンは、ずっと。東北大ってトライアスロン部強いじゃないですか。世の中あんまり3種目できる人いないだろうって思っていて。3つできることがすごい、だから自分もすごくなりたい!と思って。(2016年のリオパラリンピックから)パラトライアスロンがパラリンピックの正式種目になって、両手ない人とかもいっぱいやっているわけで。私にもできるかもって」

息子の成長に感化され、挑戦心に火がついた小釜選手。それから初心者で始めた水泳は練習を重ねるうち、国内最高峰の大会・ジャパンパラ水泳に出場するまでに成長。現在は世界で活躍するアスリートを育成する日本パラスポーツ協会のプロジェクトに選ばれ、日夜練習中です。

小釜莉代選手:
「目標としているのは、来年は強化指定かそれに近い指定を受けて、4年後のパラリンピックに出られたらと思って活動しています。」

古くから小釜選手を知る、仙台市障がい者スポーツ協会事務局長の菊地利之さんは。

仙台市障がい者スポーツ協会事務局長 菊地利之さん:
「女子大生が今や1児の母ですからね。一番はすごいのはやっぱり気持ちですね。年取るともう無理だってなってしまうところを、そうならないで今でも第一線でやっている。もう1回やろうという、そういう気持ちを維持できるというのはすごいなと思います」

新たな挑戦は、時としてその一歩が遠いもの。そのパワーの源は?

小釜莉代選手:
「あ、でも性格かもしれない…(笑)。大変だろうなって思っていても、案外できることが多い。特にバイクは乗れないだろうなと思っていたけど、今一番3種目の中で好きだし、頭使うのが好きなので私、勉強が好きだから(笑)。『これをやってみたらあれができるんじゃないかな』とか、思って試してみて、最初はできないんですけど…、いつの日かできたりするんですよね。諦めなくていいと思います。いつかできるようになると思っていて」

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