太平洋戦争末期に投下された模擬原爆「パンプキン」を巡り、詳しい着弾点が不明だった1発を特定するための資金を市民団体がクラウドファンディング(CF)で募っている。クラウドファンディングをきっかけに、初めて模擬原爆を知る人もおり、主催者側は「核兵器の歴史に光を当てることができれば」と期待する。(宮畑譲)

◆「核兵器の歴史に光を」クラウドファンディングで資金募る

模擬原爆「パンプキン」の調査費を募るクラウドファンディング

 「模擬原爆のことは知りませんでした。調査結果、興味深く見守っています」「広く一般に周知されるよう、関係者各位の努力が実を結ぶことを祈念します」  クラウドファンディングを支援する人が寄せたコメントには、パンプキンのことを初めて知ったという書き込みが複数見られた。他に「後世に核廃絶の声をつないで行く大切な取り組みだと思います」といった声もあった。  主催する「パンプキン爆弾を調査する会」の共同代表で、神戸大大学院生の西岡孔貴さん(26)は「模擬原爆が日本国内に投下された事実はあまり知られていない。クラウドファンディングで初めて知った人がいたというだけでも、目標の一部は達成されたと言える」と話す。

◆30都市に計49発が投下

 模擬原爆は、原爆投下訓練に開発され、1945年7~8月、全国約30都市に計49発が投下された。長さ3.5メートル、直径1.5メートル、重さ4.5トンで、プルトニウム型の長崎原爆「ファットマン」と同サイズ。カボチャのような形から「パンプキン」と呼ばれた。  49発のうち46発までは着弾地点が分かっており、計400人以上が亡くなったとされている。ただ、神戸、福島、徳島に落とされた残り3発は、詳しい着弾地点が分かっていない。

◆爆弾か?山中から金属片見つかる

 昨年、西岡さんらが終戦直後の航空写真や資料などから神戸市内の着弾点を推測。六甲山系の中央に位置する摩耶山中を調べたところ、長さ約5~40センチの金属片8個が見つかった。形状などから、爆弾の破片である可能性が高く、模擬原爆とも推定された。

調査で見つかった金属片(西岡孔貴さん提供)

 パンプキンであると確定させるために、見つかった金属片の成分と他の場所で発見されたパンプキンの破片とを比較する方法を採ることにした。民間の検査会社に委託し、分析にかかる費用を募るクラウドファンディングを7月1日から開始。8月29日までに100万円を集めるのを目標とする。  7月20日には、オンラインでキックオフ集会を開き、約30人が参加。28日現在、約68万円が集まっている。分析結果は9月に判明する見通し。分析した金属片は、パンプキンではなくても、米軍が投下した爆弾であれば、公開することを検討している。

◆調査は「現在と未来を考える」きっかけに

 西岡さんは「模擬原爆は、現在も国際社会で強大なパワーとしてあり続ける核兵器につながっている。投下されたのは過去の話だが、現在、そして未来を考える視点も提供している」とパンプキンを調べる意義を強調する。  調査する会で同じく共同代表を務める、「空襲・戦災を記録する会」の工藤洋三事務局長も、「パンプキンは広島、長崎などにつながるキーポイント。不明なものの一つが明らかになることを期待している」と話す。さらに、「市民団体が空襲や戦争に関して科学的な知見で調査をするのは珍しい。科学の力を借りて事実を明らかにしていく新しいチャレンジと言える」と調査の特徴を挙げている。 

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