皆さんはピックルボールというスポーツを聞いたことがあるでしょうか?
長野県内では主に東北信地方で普及が進んでいて、上田市に住む元全米チャンピオンがその立役者となっています。


上田市の清明(せいめい)小学校。

毎週月曜日、ここであるスポーツの練習が行われていると聞いて、訪ねました。

ネットを張っているのはバドミントン用のコート。

高さはおよそ90センチで、テニスよりも少し低めです。


うえだピックルボールクラブ・飯森国正(いいもり・くにまさ)さん:
「これがパドルっていうんだけどね、ボート漕ぐ(のと同じ)。ボールはこういうふうに中空構造で、わざと空気抵抗で飛ばないように」

メンバーが楽しんでいるのは、ピックルボールと呼ばれる比較的新しいスポーツです。


1960年代にアメリカで誕生した球技で、ルールはテニスとほぼ同じ。

パドルでボールを打ち合うもので、年齢を問わずプレーでき、本場アメリカの競技人口は、およそ1000万人とここ数年で急増しています。

愛好者:
「高齢者でもプレーできます。83歳でも20歳と対戦できます」

愛好者:
「バーに行く感覚で、気軽に運動しに来ています」

コロナ禍でも気軽に楽しめたことが、その人気につながったと言われています。


愛好者:
「テニスから完全に乗り換えた感じ。私の生きがいになってるわ」

日本国内では10年ほど前から普及し始めましたが、その立役者となったのが上田市に住むダニエル・ムーアさんです。



「みんなお揃いでおー!こんにちは久しぶり」

9歳から16歳まで上田市で暮らしていたダニエルさん。

もともとはテニスの経験者でした。

アメリカの大学を卒業後、父親に誘われ、ピックルボールと出会いました。


ダニエルさん:
「一緒に毎日トレーニングして、一緒に全米大会出ようよってなって、同じ日にシングルスの大会を僕はオープンの方で、彼(父親)はシニアの部で同じ日に優勝した経験があって、そっからけっこうガチになって、本格的にやっていこうよって…」

練習を重ねて、2014年から17年まで全米の大会で9回優勝。

同じころ、再び日本に戻り、普及活動を始めました。

ダニエルさん:
「その(最初の優勝の)ちょっと後に僕が日本に戻ってくることになったんですけど、日本に住むならピックルボールがあってほしいなと思って、持ち込んで、そこからちょっとずつ普及活動とかしてたんですけど」

県内では上田のほか、佐久や小諸、長野、山ノ内町、木曽町など東北信を中心に8か所に組織が出来ました。

この日の練習には、まだ始めてから2回目という20代の男性から、70代までの男女10人余りが参加。

中には練習と交流を兼ねて、片道2時間かけて木曽町からやってきた人も…。

木曽町から参加・山崎孝宏(やまざき・たかひろ)さん:
「中信とか南信はバドミントンがけっこう盛んだったので、やっぱり同じラケットスポーツというところで、とっつきやすい部分はあると思うんですよ。だいぶ盛んになるとういか知名度も上がってきたので、ぜひ近隣の町村にも広まってほしいなという思いはあります」

レベルの差が開きづらいため、対戦相手は「焼き鳥」の串を使って、ランダムで決めています。


飯森会長:
「誰とでもすぐ一緒にダブルスですぐゲームができるじゃないですか、そうするともう、どんどんどんどんピックラーの友だちができてくる」



40代半ばの運動不足の記者も挑戦してみました。

10分ほどの練習でラリーが続くようになり…、

打ちそこないのスマッシュで全米王者からポイントをゲットできました。

日本国内の競技人口は5000人ほどというピックルボール。

ダニエルさんはさらなる普及を目指しています。


ダニエルさん:
「日本全国にピックルボールコートとかチームがあって、誰でもすぐにできるスポーツにはしたいと思いますし、国際的に日本人の選手を海外に送り出して、そのうちオリンピックスポーツにもなると思うので、オリンピックでも活躍していただきたいですね」

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