山口県の北浦地方に古くから伝わる行事で、イネに害虫がつかないように祈る「サバー送り」が始まりました。北浦を50キロ移動して行われる行事に密着しました。
わらで作っているのは、騎馬武者姿の人形です。長門市の飯山八幡宮には、地元の人たち20人ほどが集まりました。イネにつく害虫を追い払い、豊作の願いを込めた「サバー送り」のわら人形です。
害虫を連れ去るよう祈る行事
毎年、田植えを終えたこの時期に、「サバーサマ」と「サネモリサマ」と呼ばれる馬に乗った人形2体を作ります。「サバーサマ」はイネの害虫・ウンカの化身で、「サネモリサマ」は馬がイネの株に足をとられて無念の死をとげた平安時代の武将斉藤実盛を表しています。イネの株を恨み、害虫となった実盛の怨念を慰霊して害虫を連れ去るよう祈る行事と言われています。
作っている地元の人
「こっちも短くしたけど、この長さでええよ、6本6本やね」
作り方は口伝、300年超える歴史
江戸時代中期から300年以上続く行事で、わら人形の作り方は、口伝えで、年長者から代々受け継がれてきました。
地元の人(73歳)
「先輩方のを見ながら、いろいろ作って足を巻いたり、人形作ったり、今はこれ作り出したけど、見て見ながら覚えて今に至っとる」
これまで300年以上伝統を受け継いできましたが、人形の作り手も少なくなっています。
地元の人
「高齢化で跡継ぎもおらんし、だんだん、私もあと何年作れるか」
神社の氏子だけでは作るのが難しくなり、今では地元の農事組合の人が中心となっています。
地元の若手(49歳)
「たぶんこの中では、1番若いかもしれません、そう簡単には覚えられない」
作り手減少で存続の危機
人形の作り手の高齢化や減少が進んでいるため、国は去年3月「記録が必要な無形民俗文化財」に選択しました。2009年には、県の無形民俗文化財に指定されています。
飯山八幡宮・上田久允宮司
「だんだん諸事情、世相が変わってきますんで、一抹の不安あるんですが、できる限りは続けていって継承してもらえればありがたいなと思っています」
約1時間半で人形が完成しました。このあと、宮司が和紙に顔を描いて貼り付け、紙で作った「かぶと」をかぶり、竹の刀を差します。
2体のわら人形が神社を出発
7月2日、サバー送りの日です。飯山八幡宮で虫除けの神事が行われました。かねの音神事の後、2体のわら人形の出発です。神社周辺の4つの集落が毎年交代で送り出します。今年は、中山自治会の人たち7人が行列を作り、かねを鳴らしながらのぼりを立てて運びました。
途中では2軒の家に立ち寄り、わら人形の腰に付けられた「オゴク」と呼ばれる白ごはんが渡されます。渡す家や人は宮司の直感で選びます。1軒はすでに解体された家のあとですがこれまでに休憩させてもらうなど、世話になっていたそうです。
上田宮司
「オゴクはご飯の最大限の尊称みたいな感じで、サバーサマとサネモリサマの弁当です、道中の」
弁当のおすそ分けといったところでしょうか。もう一軒は、神社の総代の家です。留守なので玄関に置いてきました。
上田宮司
「多分分かると思います、置いて帰ります」
数週間かけリレーで運ぶ
ここからは再びわら人形を担ぎ、地区の境界まで運びます。地区から地区へと、住民がリレー形式でつないでいきます。数週間かけて50か所以上をリレーし、下関市豊北町までおよそ50キロを運んで海に流します。
わら人形は、日置地区に入ってすぐの小さなトンネルの中に置かれました。置かれた集落では、「早く次に送らないと害虫が周囲に散ってしまう」などさまざまな言い伝えがあります。
上田宮司
「われわれは振り返らずに帰ります」
一行は神社へと戻りました。およそ30分後、日置地区の住民が、わら人形が置かれたことを知り軽トラックに乗せていました。
日置地区の住民
「あぜを見てからイネが白くなるサバーサマ(害虫)かな、あれにやられてから白くなるいね。あれを見ればかわいそうなね、豊作とかウジが来ないほうがええわあね、それは思うちょるよ」
昔からの伝統を残したい
集落の周りでは米を作る人も少なくなり、田んぼも荒れ地になってきたということですが、やはりそれでも伝統は継ぎたいと、次の目的地までわら人形を運んで行きました。
わら人形を運んだ日置地区の人
「昔からの分は残さないといけないと思いますよ、誰も皆思うけどね、なかなかそれを率先してやっちゃろうというのがなかなかおらんですよ」
長門市から下関市にかけて広域で行われる伝統行事。かつては子どもたちも行列を組んで加わり地区の大切な行事として送り継がれてきました。しかし、過疎高齢化の影響でその存続も危ぶまれています。
上田宮司
「続くことに意味があるし、もしかしたら途絶えることもある意味があるのかなと思っていまして、その辺は自然に受け止めるしかないかなと」
神社のすぐそばには深川小学校があり、児童がわら人形作りを見学に訪れることもあるということです。
上田宮司
「そういう子が長門にとどまって、じゃあ僕やる私やるっていうのがもし出てくれば、それはそれで続いて行くしありがたいなと。それも自然の流れの1つかなと思っています」
北浦でひっそりと続く「サバー送り」。300年を超えて豊作を願う農民の思いが途絶える危機がきています。そんな難しい時代を受け止めようとしています。
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