国立公文書館に所蔵される石垣島事件のファイル。元軍人の見解として書かれた嘆願書には、当時の日本軍の常識が書かれていた。死刑を宣告された41人のうち、ほとんどは命令を受けた実行者だった。「上官の命令は天皇の命令」。命令を受けた者は、意志を持たない「単なる道具」の状態だったという。米軍はその常識に納得できたのかー。

◆石垣島事件に対する日本とアメリカの温度差

石垣島事件 初公判の記事(新聞史料にみるBC級裁判・毎日新聞社)

横浜裁判で最も多い被告数であった石垣島事件。米軍機の搭乗員3人の処刑に対し、46人が被告とされたが、初公判の日に毎日新聞が記事を掲載したとはいえ、いわゆる「ベタ記事」で、日本人の注目度はそう高くはなかった。

「九大生体解剖事件」のように、医師が生体実験をしたというショッキングな要素や女性の被告がいる事件と比べれば、人数は多いとはいえ軍隊にいた人ばかりなので、トピックスになり得なかったのかもしれない。また、3人目の捕虜を縛って生きながら刺突訓練の的にしたという殺害方法が日本の軍隊では珍しくなかったのか、特に残酷だという認識ではなかったようだ。

九大生体解剖事件の初公判(米国立公文書館所蔵)

しかし、米軍の認識は違っている。1947年11月26日の初公判の後、12月3日に被告人席では足りずに傍聴席までを埋める被告たちの姿を、全員が写るように4枚の写真に収め、それをアメリカの国立公文書館に収蔵したことを見れば、横浜裁判の中でも重要な裁判という位置付けだったと思われる。一人ずつ判決を宣告される写真は30数人分も残されている。

◆41人死刑は衝撃

石垣島事件 判決の記事(新聞史料にみるBC級裁判・毎日新聞社)

さすがに、1948年3月16日の41人死刑判決は新聞で大きく扱われた。大佐から二等兵までことごとく絞首刑の判決が出て世間が驚き、関係者の間で嘆願書を出そうという動きが活発化したようだ。その中の1通が1948年12月に提出するつもりで書かれた元軍人の嘆願書だ。

マッカーサー元帥に提出された嘆願書の下書き(国立公文書館所蔵)

三人目の捕虜を銃剣で突いたとして死刑の宣告を受けた兵の中には、まだ10代の者もいて、「命令の実行者」を罪に問うのは酷であるという主旨なのだろう。命令についての「日本の常識」が書かれている。

◆上官の命令は天皇の命令

降伏文書の調印(米国立公文書館所蔵)

<嘆願書>(※現代風に読みやすく書き換えた箇所あり)

日本の軍人は「陸海軍は天皇の陸海軍であり、上官の命令は天皇の命令と心得よ」と教えられてきました

上官の命令に対する絶対服従は、軍紀の基本として、軍人の第二の天性でなければならぬとまで強調されて来ました

従って一旦上官から命令が発せられた時は、実行の困難を訴えることはもちろん、その当否を議することも禁止されていたのであります

これは他面、指揮官に極めて重い責任を負わせたものであり、部下としてはそれが士官であると下士官兵であるとを問わず、一旦発せられた命令に対してなし得ることはただ、これに従うだけでありました

部下としては上官が不法の命令を発するというようなことは夢想すらしなかったのであります

◆絶対服従は五・一五事件の影響

降伏文書調印に関する詔書(国立公文書館所蔵)

<嘆願書>
なお、日本海軍が服従の絶対性を特に強く要請するに至った理由としては、次のことが考えられます

(イ)海軍の規律は軍艦による戦闘を中心として、規定されており、軍艦を単位とする戦闘には、乗員の意思は常に急速に且つ強固に統一されなければならない為、指揮官の命令の構成が極度に重んぜられねばならぬとされました

(ロ)1933年5月15日、総理大臣犬養毅を殺害した事件に海軍士官が参加したことがあって以来、海軍では邸内の統制を強化する為、軍人の政治不関与と共に士官の命令に対する絶対服従を教育上強調するに至りました

◆命令を受ける者は単なる道具

佐世保海兵団

<嘆願書>
その様な理由により強調されて来た、命令に対する服従の要求は、開戦後、更に強化されるに至りました

それは1942年に海軍刑法が改正され、上官の命令に反抗し、又は服従しない者に対する刑が加重されたことによっても明らかであります

このようにして受令者の人格は無視され、それは発令者の単なる道具のような状態になっていたと言うことができるのでありまして、不法命令に基づいて犯行を敢えてした受令者の責任は、日本の軍人に関する限り軽微なものと見なければならないと思うのであります


BC級戦犯を扱った横浜裁判で罪に問われたのは、国ではなく、「個人」だった。人格が無視され、「発令者の単なる道具」であったから「個人」の責任を軽くしてほしいという嘆願では、最終的に全員の命は救えなかったー。
(エピソード52に続く)

*本エピソードは第51話です。
ほかのエピソードは次のリンクからご覧頂けます。

◆連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。

#1 セピア色の便せんに遺された息子への最期の言葉「子にも孫にも叫んで頂く」
#2 文書は燃やされ多くが口を閉ざしたBC級「通例の戦争犯罪」
#3 「すぐに帰ってくるから大丈夫」スガモプリズンで”最後の死刑”
#4 最初か、最後か“違和感”の正体は?藤中松雄が問われた「石垣島事件」
#5 戦争中“任地”で起きたことを話さなかった 「兵隊に行きたくないとは言われん」藤中松雄の100歳の“同期”
#6 「死刑執行」は“赤”で記されていた、藤中松雄の軍歴が語るもの
#7 法廷の被告人席に父がいた…死後70年経って初めて見た“父の姿”
#8 想像を超える“捕虜虐待”への怒り、法廷を埋め尽くす被告たち
#9 “最後の学徒兵”松雄と共にスガモプリズン最後の死刑囚となった田口泰正
#10 黒塗りの“被告名簿”国立公文書館のファイルから出てきたもの
#11 「石垣島事件」とは?殺害されたのはいずれも20代の米兵だった
#12 墜落の瞬間が撮影されていた!米軍資料が語る石垣島事件
#13 “石垣島事件”3人はどこで処刑された?
#14 石垣島事件の現場はここだった
#15 法廷写真の青年は誰?石垣島で調査
#16 法廷写真の青年は誰?男性のインタビューが残されていた
#17 19歳で死刑宣告を受けた元戦犯は
#18 法廷にいた青年を特定!拡大写真の“傷”が決め手に「どこかの誰か」ではなく人物が浮かび上がる
#19 石垣島はもはや過去の歴史の舞台ではない
#20 取り調べでは「虚偽の供述」強要も
#21 松雄の陳述書は真実を語ったもの?福岡での取り調べ
#22 陳述書の真実は?「命令で刺した」それとも「自発的に刺した」
#23 松雄の調書に書かれたメモ「私は命令によって行動したのです」
#24 これが真実?弁護人に宛てた松雄の文書
#25 松雄が法廷で証言したこと
#26 「調査官からだまされた」法廷での証言に共通していたこと
#27 「裁判の型式を借りた報復」弁護人が判決に対して意見したこと
#28 「例を見ぬ苛酷な判決」弁護人が判決に対して意見したこと
#29 密告したのは誰だ~石垣島事件はなぜ発覚?
#30 大佐から口止め「真実の事を云ってくれるな、頼む」事件の真相を知る少尉
#31 「元気がないから兵隊に突かせる」処刑方法を決めたのは
#32 「若き副長をかばった?」あいまいな証言の理由は
#33 「かなしき道をわれもゆくべし」若き副長の最期
#34 「私が命令した」裁判直前、司令の方向転換
#35 「不本意ながら涙をのんで発令した」遅すぎた司令の方向転換
#36 大佐が弁護人へ礼状「思い残す処なきまでし尽くした」ほかの被告たちは法廷で発言できたのか
#37 「永遠の別れと知らず帰りき」大佐が遺書に綴った家族への思い
#38 ぎりぎりで死を免れた兵曹長 石垣島事件を語るキーパーソン
#39 「言っていないことが書かれている」調書にあった酷い暴行と仇討ち
#40 「お前が殴ったと他の者が言っている」米兵の十字架を建てた兵曹長は偽りを書いた
#41 「父は何も語らなかった」直前で死を免れた兵曹長の戦後
#42 「処刑は戦闘行為の一つ」命のやり取りをしている戦場で兵曹長は思った
#43 「だから戦争はしちゃいかんです」死刑を宣告された兵曹長の真実を知った息子たち
#44 「命令に従った」は通用しない問われる個人としての戦犯
#45 間違った命令に従った場合は・・・戦犯裁判で抗弁にならなかった日本の認識
#46 「命令の実行者が絞首刑」石垣島事件の過酷な判決 ほかのBC級戦犯裁判はどうだった
#47 なぜ下士官までが極刑に 41人が死刑 石垣島事件の特殊要因は
#48 下士官ですら死刑執行 米軍の怒りはどこに 石垣島事件厳罰の背景は
#49 米国人弁護士が交代 石垣島事件の裁判をめぐる不運な事情
#50 捕虜虐待の根底にあった「捕虜となることは大きな恥辱」嘆願書で強調した日本の”常識”
#51 絶対服従「上官の命令は天皇の命令」 命令を受けるものは単なる道具だった

筆者:大村由紀子
RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社
司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。

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