戦争の火種が世界各地に広がるなか、扇情的な情報発信で人の思考(認知)を支配しようとする「認知戦」が深刻な課題に浮上している。実際の社会問題に根差した人々の対立意識や不満を交流サイト(SNS)などであおり、社会を分断する手法。安全保障の専門家は、日本も「政治とカネ」など不公正な問題は認知戦の標的になるため、是正するべきだと指摘する。(滝沢学)

 認知戦 人の脳など「認知領域」を刺激し、考え方に影響を与えるための戦い。陸海空、宇宙、サイバー空間に続く第6の戦闘空間として「認知領域」が捉えられ、2000年代から中国やロシア、欧米などで研究が本格化している。米欧でつくる北大西洋条約機構(NATO)は「敵対勢力が世論を武器化し、政策に影響を与え、公共機関を不安定化させること」と定義している。

◆ウクライナで、台湾で…仕掛けられた巧妙な偽情報

 「ゼレンスキー(ウクライナ大統領)はわが国の敵だ」。2023年11月、ロシアの侵攻を受けるウクライナで、当時の軍制服組トップ、ザルジニー総司令官がクーデターを呼びかける動画がSNSなどで拡散した。ウクライナ当局は、即座にロシア側によるディープフェイク(巧妙な偽情報)だと否定した。

ウクライナの偽情報防止センターが公開した、ザルジニー元軍総司令官がクーデターを呼びかけたとされる動画

 巧妙だったのは、実際にゼレンスキー氏とザルジニー氏の間で戦況の認識を巡る食い違いが表面化した時期に拡散したことだ。ロシア側は国民の不安に拍車をかけて混乱させようとしたとみられている。  今年1月の台湾総統選では、中国と距離を置く民進党の頼清徳(らい・せいとく)氏を中傷する偽情報が大量に出回った。当時の台湾の呉釗燮(ご・しょうしょう)外交部長(外相)は「中国による認知戦」と批判した。日本の防衛研究所によると、中国は「制空権」のように、脳への支配で優位に立つ「制脳権」という概念を導入し研究しているという。

◆対話を妨害、民主主義を揺るがす危険性も

 世論の誘導を狙った「情報戦」は戦争の常とう手段で、デジタル技術の発達を背景にした認知戦はその一つ。実際にくすぶる社会問題や対立意識などについて、偽情報なども交えて大量にSNSに投稿するのが代表的な手法とされる。

認知戦について語る東京大学の小泉悠准教授=東京都目黒区の東京大学先端科学技術研究センターで

 小泉悠・東京大学先端科学技術研究センター准教授は「ゼロから洗脳するのは難しいので、人々がもともと持っている考え方を先鋭化させ、異なる意見の人と対話できなくさせて社会を分断する」と解説。人々の意思決定や対話を妨害するため、民主主義を揺るがす危険性も指摘される。  米国議会の報告書によると、2016年のアメリカ大統領選では、ロシア系企業がSNSの偽アカウントを使い、移民問題など米国内で意見が分かれるテーマについて大量に投稿し「政治と国民に不和をまき散らそうとした」。実際、米国民の党派対立は深刻化し、議会も機能不全に陥っている。

◆政治とカネや沖縄の基地負担…他国の陰謀にお墨付き

 米欧も認知戦への研究や対策を進めるが、日本では2022年の防衛白書で初めて認知戦という言葉が登場した段階。小泉氏は「仕掛けてくる側は、われわれの社会の公正さに疑問を抱かせるような火種を探し、利用する」と警鐘を鳴らす。  政治とカネの問題や沖縄県の基地負担、日米地位協定を例示し、他国から認知戦に利用されかねない不公正さがあるとして「放置すれば、他国が仕掛ける陰謀論などにお墨付きを与えてしまう」と強調。日本政府は国民の間に広がる不満をねじ伏せるのではなく、問題の是正に取り組むべきだと指摘した。  市民は、認知戦に巻き込まれないようにするため「本を読み、いろいろな現場を見て、さまざまな人の話を聞くなどし、あふれる情報を自分なりに解釈するための軸を持つことが重要だ」とも付け加えた。 

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