AIアシスト、家電、エレベーター、駅のホーム。われわれの身の回りには多くの自動案内音声が存在する。そして、その多くは女性の声だ。なぜそうなっているのか。その背景には何が潜んでいるのか。立命館大学産業社会学部・坂田謙司教授による論考。

われわれの日常にある音と声の存在

われわれの日常は、音や声で溢れている。能動的に聴く音や声もあれば、否応なしに聴こえてくる音や声もある。

NHK放送文化研究所が5年に1度行っている「国民生活時間調査2020年」によれば日本人全体の平均睡眠時間は7時間12分で、残りの約17時間は屋内外で何らかの活動をしていることになる(1)。

われわれの耳は、構造上外部からの音を遮断することはできない。言い換えれば、まぶたのような器官を持たない耳を、自らの意思で塞ぐことができないのだ。ヘッドフォンなどにあるノイズキャンセリング機能は、ヘッドフォン以外の外部の音をシャットアウトしてくれるが、ヘッドフォンからの音は聴こえ続けている。そして、われわれは音や声が存在することに慣れてしまい、かえって静寂を恐れてしまっている。

その恐れが現実になったのが、2020年から始まった新型コロナウイルス感染症拡大に伴う外出自粛であり、音と声が単なる空気の振動ではなく、われわの生活を構築し、社会やコミュニケーションと深く関わっていたことを改めて知らしめてくれたのだった。

このような音と声、そして社会との関係を改めて考えてみたとき、1つの大きな音に関する疑問がわいてくる。それは、自動音声の声だ。

日常のなかで多くの自動音声を聴く機会があるが、そのほとんどが「女性声」であることに気がついている人はほとんどいない。いや、むしろ「女性声」であることに対して、安心感を持っている人の方が多いかもしれない。自動音声が「女性声」である必然性はないはずなのだが、「女性声」であることに違和感を感じない。

ジェンダー・フリーの社会が徐々に拡がっているにも関わらず、自動音声が「女性声」というジェンダーを纏い続けているのはなぜだろうか。本稿では、この問題について、社会史的な観点から考えてみたい。

お世話を焼いてくれる「女性声」の自動音声

大学の講義がある時や30分以上移動する際には、音楽やPodcastを聴くことが多い。ワイヤレスイヤホンをケースから出し、耳に装着すると女性の声で「接続しました」あるいは「Connected」と知らせてくれる。カバンにしまってあるスマートフォンとBluetoothで自動的につながったことを知らせる声だ。ワイヤレスイヤホンを購入した後、最初に接続設定を行えば、あとは自動的に接続してくれる。便利なものだ。

授業の合間にキャンパス内のATMで現金を引き出そうと機械の前に立つと、自動的に「いらっしゃいませ」と挨拶してくれる。もちろん、そこには自分以外の誰もいない。無事に現金を引き出すと「ありがとうございました」とまた挨拶してくれる。無機質な機械の操作が、この声のおかげで少しだけ人間の存在を感じさせてくれる。実際には人間の声ではなく、機械が話している擬似的な「声」にもかかわらずだ。

このような機械が話す「声」は、今やわれわれの社会生活の至る所で耳にする。一部コンビニやスーパーにある自動精算機、エスカレーターやエレベーター、動く歩道、駅のホーム、電車やバスの車内、カーナビゲーション、SiriやアレクサのようなAIアシスト、視覚障がい者向けのトイレ案内、お風呂があと何分くらいで入れるのかを知らせてくれる音声などなど、至るところに機械の声はある。だが、われわれはその声に注意を払うことは殆どないと言っていいだろう。

なぜなら、これらの声は自分たちの身の安全を守ってくれたり、生活を便利にするための「お世話」を焼いてくれる声だからだ。毎日毎日お世話を焼いてくれる存在は、やがて普段耳にしている日常化された音のなかに埋め込まれ、特別な注意を払うことはなくなっていく。

ヤカンでお湯を沸かすと「ピー」という音で知らせてくれるし、トースターでパンが焼けたことや電子レンジで温めが終わったことを知らせてくれる「チン」という音と何も変わらないからだ。

しかし、ただ一つ違うとすれば、機械が話す「お世話声」には性別があるという点だろう。その性別はもちろん肉体的なものではなく、意識や認識上での性別、すなわち「ジェンダー・ヴォイス」なのだ。

これらの声は、かつては生身の人間が行っていた仕事や作業が自動化された際に作られたと考えるのが妥当だろう。典型的なのは、エレベーターの運転係とバスの車掌で、どちらも大正末から昭和初期にかけて社会に登場した職業だ。そして、どちらも自動音声による「お世話声」が使われているだけでなく、その声は自動化する前にその仕事を担っていたジェンダーを引き継ぐ形で女性の声が使われているのだ。

単純に考えれば、自動音声化される際にその「声」を代替させる必要があるが、利用者が違和感を抱かないために女性の声にするのが順当だろう。しかし、筆者はそこに社会のジェンダー意識も働いていたと考えている。つまり、男性の声にすることも可能であったにもかかわらず、あえて女性の声を選んだと考えられるのだ。しかも、先述のような女性が担っていた「お世話」というジェンダー・バイアスが、深く関わっていたのである。

女性と「お世話」という仕事

日本社会において、一部の例外を除いて女性の存在は長らく補助的な役割を強いられてきた。それが大きく転換したのが、1874(明治7)年に東京女子師範学校が設立されて女子教育が制度化されて以降である。それまで教育の埒外に置かれていた一般女子たちに教育の機会が開かれ、その結果一定の教育を受けた働き手としての女性が誕生した。いわゆる、「職業婦人」の誕生である。

職種としては、電話交換手、タイピスト、百貨店店員、女給などであったが、全体に通底するのは補助的な役割、つまり「お世話」だったのである。1885(明治18)年に師範学校の女子部が設立され、より高度な教育を受けられる環境が整ったが、男性を中心とした社会構造は容易には変わらず、就ける職業の幅は拡がっても仕事内容は限定的であった。

そんな職業婦人のなかでも、百貨店の店員は人気であった。百貨店の前身は、呉服屋である。呉服屋の販売方法は「座売り」と呼ばれ、客が店を訪れるのを座って待機していて、男性販売員である「手代(てだい)」が接客をする形式であった。手代の上司は「番頭(ばんとう)」であり、部下として「丁稚(でっち)」がいて、どちらも男性の仕事だった。店主の妻である「お上さん」以外の女性は店頭を含む表にはおらず、店の奥で家の仕事を手伝っていた。

この座売りの販売形式を現在のような商品を陳列する形式に変えたのが百貨店であり、1904(明治37)年に三越呉服店が「デパートメント宣言」を行い、近代的な百貨店の嚆矢となった。

その際に女性店員が雇用されたが、女性店員が行った「丁寧な応対」や女性客に対する「会話」が好評を得た(2)。その結果、専門的な知識を必要とする売場では男性店員が接客し、それ以外の売場では女性店員が次第に増えた。現在のような百貨店店員=女性のようなイメージができあがった。言い換えれば、百貨店という近代的な商業形式への女性の進出は、女性に求められていた「補助的」で「お世話」をすることが前提となっていたのである。

当時の百貨店には、エレベーターやエスカレーターなどの近代的な設備が整っていた。日本で最初にエレベーターを設置したのは1890(明治23)年浅草の凌雲閣であったが、百貨店では1925(大正14)年に神戸市にあった「小橋屋呉服店」が最初である。

当時は「昇降機」と呼ばれていたが、初期の設備は操作が複雑で、男性の運転係が乗務していた。1929(昭和4)年になると上野の松坂屋百貨店が初の女性運転係である「昇降機ガール」を採用した。後に「エレベーター・ガール」と呼ばれてテレビドラマにも登場するこの職業だが、最近は自動運転になってある年齢以上の人でないとエレベーター・ガールを観た記憶はないと思う。

基本的にはドアの安全な開閉と客の要望に応じた停止階の設定。そして、各階の売り場案内が仕事内容であった。そして、その声だけがエレベーター・ガールという身体から切り離されて、現在のエレベーター自動音声として採用されているのだ。

バスの自動音声は、どうだろうか。日本に乗合型のバスが移動手段として登場したのは、京都市で1903(明治36)年のことだった。現在の箱形車両とは異なり、蒸気機関で走る幌が付いた8人乗りの車だった。

初期のバスは故障が多くて本格的に普及し始めたのは、大正期に入ってからであり、最初に普及し始めるのは需要の多い都市部からだ。1923(大正12)年の関東大震災は東京を中心とした路面電車の軌道を破壊し、急遽代替手段として800台余のバスが導入された。バス事業を営む事業者が複数設立され、乗客に選ばれるために揃いの制服を着た女性車掌たちを採用し、女性車掌を使った宣伝合戦も激しくなった。

例えば、最初の女性車掌は1920(大正9)年に東京市街自動車会社(後の東京乗合自動車)が採用した女性車掌であり、制服は黒のツーピースに白い襟であった。1924(大正13)年には東京市電気局が市営バスの女性車掌を採用し、紺色のワンピースに赤色の襟が付いた制服を採用した。このような制服による話題性はともかく、女性車掌たちに求められたのは乗客への切符販売、停留所の案内、乗客の乗降手助け、運転手の補助など、あくまでも補助的な役割であった。もちろん車内での会話や案内は肉声で行われていた。

敗戦を挟んでバスと車掌による輸送はますます需要を増していったが、1960年代に入ると高度成長に伴う全国的な人手不足と女子の進学率が高まったことによる、中学校卒女子が主な就職先であったバスの車掌離れなどによってバスの車掌は廃止され、ワンマン化した際に自動音声案内が誕生した。

そして、ここでもエレベーターの自動音声と同じように、それまで女性が行っていた声による案内は身体から切り離され、録音した声だけが車内に響くようになったのである。

百貨店のエレベーター・ガールやバス車掌以外にも、戦争による男性の徴兵で人員不足に陥り、それまで男性が担っていたさまざまな仕事を女性が担うことになった。しかし、これは前記のような女性に対する社会的な規範を背景とした仕事とは異なり、あくまでも男性の代役でしかなかった。敗戦後の社会に男性が復帰し始めた後は代役の必要性はなくなり、元の補助的な仕事へと女性も復帰していったのである。

自動音声とAIアシスト音声

さて、このような自動音声と女性声の関係は歴史的な背景を持っていたわけだが、現在の自動音声で身近な存在は、冒頭で紹介した場面に加えてAIアシストだろう。

AppleのSiriやGoogleのアレクサはAIアシストの代表であり、利用者の指示や問いかけに自動音声が答えてくれる。AI化が進む現代社会において、自動音声は不可欠と言っても過言ではない。

そして、その声のほぼ全てが女性声なのだ。ジェンダー・フリー、ジェンダー・ニュートラルな意識が社会のなかに少しずつではあるが浸透しつつある現代社会において、なぜ自動音声の声だけは女性声であり、なぜその点には誰も疑問を持たないのだろうか?

一つには、先述のように元々女性が担っていた仕事が機械化、自動化される際に案内用の音声が必要となり、そもそも女性が担っていたのだから女性の声を使うという無意識の流れだ。この流れは、ある意味で自然な流れであり、姿の消えた女性の身体を、切り離された声で違和感なく受け入れてもらう方法だったと考えられる。

例えば、エレベーター・ガールがある日突然エレベーター・ボーイに変わったとしたら、どうだろうか?最初は違和感を持つが、それが日常化されるにつれて人びとは違和感を持たなくなる。しかし、不評は存在する。例えば、丁寧さがない、威圧感がある、仕事内容に合わないなどだ。そして、新聞やワイドショーのネタとして取り上げられ、ジェンダー問題として形作られていく。

その一方で、男性声が使われている自動音声もある。例えば、近鉄電車の車内自動音声は男性声だ。また、JR北海道の自動音声も一部男性声になっている。近鉄電車に乗った際には最初違和感があったが、次第に慣れてしまった。

あと、駅のプラットフォーム自動音声は男女の混合だ。これは、視覚障がい者向けに、声の性別によって区別ができるように配慮されているからだ。つまり、声の性別は、われわれにとって極めて認識しやすい音声情報なのである。であるならば、なおのこと使われている自動音声にジェンダーの偏りがあるのは、何らかの事情や理由があるはずだ。

カーナビやAIアシストは、まさに「アシスト(補助)」という役割を担っている。どちらも音声を男性声に切り替えることはできるが、わざわざ切り替える人は少ないであろう。なぜなら、デフォルトが女性声であることに違和感も問題も感じないからだ。

2019年に国連の教育科学文化機関「UNESCO」が、AIアシストの音声において女性声がデフォルトに設定されていることに対して、ジェンダーの偏りを助長するという報告書をまとめた。

この報告書の中で、AIアシストの初期設定声が女性声であることで「女性は愛想良く従順で、いつでも人を助けて喜ばせたいと思っており、ボタン一つ、あるいは音声で命令するだけで利用できるという概念を固定させるだけでなく、不当な扱いでも我慢するという偏見を助長させる」と指摘している(3)。

つまり、AIアシストが女性声であることで、現実世界の女性に対するジェンダー的な役割が固定され、指示に逆らうことなく従順に従い、しかもそのことに喜びを感じているような意識も利用者に持たせる危険性があるということだ。

そして、もっとも重要視しているのが、AIアシストの開発者たちが無意識に、無自覚に女性声をアシスト音声として初期設定にしてしまっていること自体なのだ。つまり、アシストという役割は、女性を前提に認識されている結果なのである。

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