「東海道・山陽新幹線」記念すべき2024年度 50年前に何があった?

来年3月10日で、東海道・山陽新幹線は「東京-博多全通50年」を迎えます。

RSK山陽放送(1953年創業)は71年に渡る放送の歴史の中で、新幹線に関わる数多くの貴重動画を保存していて、「RSKイブニングニュース・YouTubeチャンネル」では、再生リスト「新幹線・貴重映像大集合」にてそのうち38本の動画を公開しています。

RSK山陽放送では、38回シリーズ(予定)で、その内容を画像を交えてインターネット記事として紹介していきます。

7回目は「2階建て車両が4両に?!新幹線100系新型現る【画像①】」です。

【画像①】

平成元年に現れた「グランドひかり」2階建て車両が増えた!

時は1989年3月11日。当時の小渕恵三官房長官が「新しい元号は『平成』であります」と発表した2か月後のことです。

この年のJRのダイヤ改正では、新たな車両が仲間入りしました。RSK山陽放送が取材していた車両の1つが、今となっては懐かしい【画像②】のマリンライナー213系「パノラマグリーン車」の色違いバージョンです。

【画像②】

当時の原稿に「JR四国のドル箱路線」と書かれていた、瀬戸大橋を渡るマリンライナー。この日新しくお目見えしたのは、ボディに入るラインが「黄緑色」と「オレンジ色」の二種類の車両でした。

このダイヤ改正で、岡山と高松を結ぶマリンライナーは、これまでより10往復増え1日29往復となり、デイタイムの午前9時から午後5時までの間は、30分に一本の割合でマリンライナーが走るようになりました。

そして新幹線の軌道に新たに現れたのが、【画像③】の100系「新型」です。

【画像③】

ダイヤ改正の1か月前となるこの日、JR岡山駅に滑り込んできたのは、先端が尖った新幹線「100系」ですが...デビューから4年、それまでとは大きく変わった点があります。

それは...なんと2階建て車両が、「2両」から「4両」になったのです【画像④】。

【画像④】

2階建て車両 ワゴン販売はどうしていた?

今となれば、東北・上越新幹線を走っていた全車2階建ての「MAX」E1系・E4系が、12両だの16両だのでRide on timeしていたので何の驚きもないかも知れません。

筆者の栃木に住む友人が送ってくれた、全車2階建て車両の新幹線【画像⑤】【画像⑥】を見ると、壮観そのものです。

ただ当時からしてみれば「4階建てが4両も!」と、贅を尽くした感に衝撃を受けたものです。

【画像⑤】E1系(筆者の栃木の友人の画像フォルダより)
【画像⑥】E4系(筆者の栃木の友人の画像フォルダより)

ちなみに超余談ですが、筆者自身はかつて東海道・山陽新幹線の0系・100系・300系、東北・上越新幹線の200系・400系・E1系で車内販売員をしていたことがあります。

このうち、全車2階建て車両のE1系で乗務すると「ワゴン」が使えないというハードモードになるのです。

バスケットを手に、また繁忙期には両肩に「透明バッグ」いっぱいに商品を詰めて、1両1両小さな階段(【画像⑦】…こちらはE4系ですが)をマッピー(昔のゲーム)のように昇り降りしながら「温かいコーヒーにサンドイッチィィィィ~」と唱えていた記憶があります。

【画像⑦】筆者の栃木の友人の画像フォルダより
【画像⑧】筆者の栃木の友人の画像フォルダより

なお100系に乗務していた時は、2階建て4両の「グランドひかり」の際は、ワゴン車はシフトで、1階建て部分は「1号車~6号車」組と「11号車~16号車」組で分かれていた記憶があります。2階建て部分はどうしていたんだろう...。

さぁ、100系「グランドひかり」の車内はどうだった?探索だ!

【画像⑨】

さぁ、その懐かしい「グランドひかり」の車内を見ていきましょう。まずは、小さな階段【画像⑩】を当時のカメラマンがコンコンと上がっていきます。

【画像⑩】

するとその先に見えてきたのは、2階建て部分のグリーン車!

当時は現在のN700系と比べて【画像⑪】のように想像がつかないほど窓が大きく、「2階」という非日常を感じさせてくれる高位置から、ワイドなビューで景色が楽しめていたんですね。

【画像⑪】

さらに、当時の映像に映し出されていたのは、座席の手元でいじる「音量調整ボタン」【画像⑫】です。わざわざこれを取り上げるということは、当時は珍しかったんだと思います。果たして、これで何を聞くことが出来たのでしょうか?

【画像⑫】

さらに、並ぶ2席の真ん中には読書灯のボタンも!よく見ると「窓側」「通路側」と2つあったようです【画像⑬】。2人で共有するものだったようで、隣の人の読書灯を間違って付けたり消したりしないか心配になりそうな代物です。。。間違えないか。

【画像⑬】

1階座席、低っ!

そしてカメラマンは、今度は階段をコンコンと下って1階席へ【画像⑭⑮】。こちらも、シート配列が2×2の座席です。

【画像⑭】
【画像⑮】

とてもゆったりとした室内空間なのですが...外から見ると、低っ!【画像⑯】。ホームのスレスレの位置に窓がありました。

この状況も、関東近郊で2階建てのグリーン車を利用する方々、さらには「サンライズ出雲・瀬戸」を利用する岡山県民(の、ごく一部)にとっては見慣れた光景ではありますが...。

【画像⑯】

「入口脇の壁」にはアレが?!

さらに【画像⑰】も1階部分と思われます。普段は藤原竜也さんの広告がよく掲げられている出入口脇の壁ですが、その場所をよくよく見てみると。。。

【画像⑰】

なんとデカデカとテレビ画面が!?座席に座っている男性の背中で、カエルがゲコゲコ鳴いています。アップの画面ではサルが吠えています、キシャーッ!【画像⑱】

【画像⑱】

さらには2階にある食堂車。入り口部分のマスカット色のステンドグラス【画像⑲】がなんともオシャレです。その向こうには、数多くのテーブルと椅子が。【第4回】の記事の100系デビュー時の車両よりも、座席数が増えたようにも思います。

【画像⑲】
【画像⑳】

その食堂車にも大きな窓。【画像㉑】のように白いフワフワのカーテンがタッセルで留められていて、なんだかヴェルサイユ宮殿を思わせます(言い過ぎ&見たことないです)。ちなみに背後のカウンターみたいなものは、何?ヤフーでご覧になっていて、ご存知の方がいらっしゃったらこっそりコメント欄で教えてください。

【画像㉑】

なぜ100系は更なる進化を遂げた?

なぜここに来て、100系は新たに「至れり尽くせり」な車内環境を整えてきたのでしょうか?そこには【第6回】の記事の「ウエストひかり」同様、スピードアップだけではダメなんだ!という当時のJRの思いが滲み出ていました。

(当時のJR西日本の担当者) 
「新幹線は、開業当時は『大量輸送』『高速』という位置づけで開業したわけですけど、今はやはり『旅を楽しんでいただく』といいますか『リッチな旅』をしていただきたい」

「旅をすると疲れが出る訳ですけど、疲れのないような、居住性を持ったような車両を作って、皆さんに喜んでいただければと思って」

【画像㉑】

このダイヤ改正からスピードアップ!

「これからはリッチな旅だ」と仰りつつも、この試乗会の車内ではスピードの計測も行われていました【画像㉒㉓】。【第5回】の記事では、100系は時速231キロまでスピードが出ていましたが、この日も時速230キロ!このダイヤ改正からスピードアップが実現したのです。

【画像㉒】
【画像㉓】

これにより岡山・東京間は3分短縮され、所要時間は東京~博多間が5時間47分、新大阪~博多間が2時間49分となりました。

なお当時の原稿には「速さが売りの『ひかり』がさらに速くなり、ホームでは『高速でホームに入ります。ご注意ください』というアナウンスも流れるようになった」と記されていました。

スピード・居住空間ともに進化を続ける100系新幹線。なんと次に100系が目指すは「時速275キロ運転」でした。次回7月20日に配信予定です。

【1回目】「君は新幹線「951形」を知っているか?「0系」でも「100系」でもない2両編成の超貴重画像を発掘」
【2回目】「新幹線『0系』ビュッフェにあった『速度計』覚えてる?そして急行電車『153系』など貴重な画像も」
【3回目】「君は『特急はと』を見たことがあるか?新幹線博多開業で姿を消した『ボンネット型485系・はと』最後の雄姿」
【4回目】「新幹線100系『2階建て』『ロングノーズ』衝撃のデビュー『2階建て車両1階 めちゃめちゃ小さな窓』の正体は?」
【5回目】「新幹線100系『最高時速230キロ化』へ走行試験(1988年)キャスターが試乗会で同乗したら『時速231㎞出てた!』」
【6回目】「『青鼻』の0系新幹線が現れた なぜ青い?その正体は...そもそも『新幹線の鼻』の中には何があるの?

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