夏の甲子園を目指す長野県大会がいよいよ開幕しましたが、部員数ゼロという『存続の危機』に直面した伝統校の県立高校野球部が、7日の初戦で強豪校に挑みました。
1年生のキャプテンを先頭に、11人で挑んだ“夏”です。

6日に開幕した全国高校野球選手権・長野大会で、長野県須坂高校は7日、2年ぶりに試合に臨みました。
相手は、春の県大会を制した強豪・東京都市大学塩尻高校です。

夏の長野県大会を1か月半後に控えたころ、練習に励む須坂高校野球部員は、選手が7人しかいませんでした。

近年、顕著となっている『野球人口の減少』。

長野県高野連によりますと、硬式野球部の部員は、ピークの2015年にはおよそ3600人いましたが、2024年は3分の2の、およそ2400人まで減少しています。

創部77年の歴史を誇る須坂高校は、かつて夏の県大会ベスト4という成績も残しています。

しかし、2023年には部員がゼロに…。

そんな野球部に就任したのが、OBでもある丸山雄三監督です。

丸山雄三監督:
「(今の部員の数には)正直びっくりして。私が異動する前に選手が少ないという事実を知ったので驚いたんですけど、私ができることをやって、なんとか立て直そうと思っていました」

丸山監督が取り組んだのは、野球の魅力を伝えること。

体験会を行うなどした結果、その熱意が通じたのか、2024年の春は1年生の選手7人が入部しました。

キャプテンを務めるのは、1年の中澤倖之介(なかざわ・こうのすけ)さんです。

中澤倖之介主将:
「丸山先生に熱く誘っていただいて、みんなで丸山先生のもとでやろうとなって、迷いはありませんでした」

中澤さんは、4歳の頃から父と家の前でキャッチボールや素振りをしていました。

小学2年から本格的に取り組み、野球が大好きだったと言います。

しかし、中学生のときに壁にぶつかります。

中澤倖之介さん:
「中学時代はレギュラーで試合に出ることはあまりできなくて、三塁コーチャーを主にやって、スタメンで出る選手のサポートをしていました。すごく悔しかったです」

それでも須坂高校に入学し、野球を続ける道を選びました。

中澤倖之介主将:
「やっぱり試合に出るというのが僕の中では何よりもうれしいことなので、スタメンで試合に出て野球ができるといううれしさの方が勝っています」

中澤さんと丸山監督を中心に、チーム全員で助っ人集めに力を注ぎました。

その結果、新たに4人が加わり、春に入部した7人と合わせて、選手は11人になりました。

試合前日。開会式を終えた部員は、グラウンドに戻り最後の調整です。

これまで課題にあげていた守備の連携プレーもスムーズに。

バッティング練習では、相手投手に合わせてマシンの球速を140キロに近づけました。

エースの二ノ宮啓太郎さんの仕上がりも順調です。

二宮選手:
「いい球は前より多くなってきている」

中澤倖之介主将:
「すごく不安だったんですけど、もう今となっては吹っ切れて、楽しんでやろうという感じです」


7日の初戦、強豪校・東京都市大学塩尻高校との一戦。

先攻・須坂高校の先頭バッターは、主将の中澤さんです。

1ボールからの2球目。
迷わず振り抜いた打球は、ライト前ヒットになりました。

しかし、その後は相手投手の力のある球に抑え込まれます。

一方、守りでは…

都市大塩尻の強力打線が、エースの二ノ宮さんに襲いかかります。

しかし、どんなに点を取られても、キャプテンは下を向きません。

(スタンドからの声援)
「がんばれー!」

この回で点差が詰まらなければコールドゲームとなる5回表、須坂高校の攻撃は、フォアボールのランナーを1塁に置いて、〇〇が○○へヒットを放ち、スコアリングポジションにランナーを進めました。

あと一本ヒットが出れば待望の得点という場面を作りましたが、最後のバッターが三振に倒れてゲームセット。

0対49の5回コールドゲームで敗れ、新チームの初めての夏が幕を閉じました。

(中澤キャプテンからエースの二ノ宮さんへ)
「ナイスピッチング」
「ごめんな」

中澤倖之介主将:
「出場することができたということが何よりうれしい。悔しさを忘れずに、絶対1勝できるようなチームにしていきたいです」

伝統校の復活に向けて、須坂高校ナインが再び歩き出しました。

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