能登半島地震の被災地では仮設住宅への入居が少しずつ進む一方、老人ホームなどの福祉施設が再開されず介護が必要な人の受け皿が不足しています。
復旧が進まない現状を取材しました。
「なかなか受け皿がない」急遽開設された“病院内の介護医療院”
市立輪島病院で、午後3時になると聞こえてくる楽しそうな音楽。
4月に開設された介護医療院では、介護認定を受けながらも入院治療の必要がない人たちが生活しています。
看護師長は「今までは全くなかった。ここは治療している患者さんばかりなので、賑やかな音楽を流したりということはなかったです。避難所にいる方で介護が必要な方は、なかなかいま、受け皿がないんですよね」と話します。
輪島市では、特別養護老人ホームをはじめ、高齢者を受け入れる施設の多くが再開できていません。地震の発生直後、診察や入院を制限していた輪島病院では手の空いた看護師や介護士が施設での業務を担ってきました。
市立輪島病院・河崎国幸 事務部長「二次避難した先で体の状態が悪くなって戻ってきても介護サービスを受けるところがない、入れる施設がないという方々がほぼほぼ輪島病院の介護医療院の申し込みをされている状況」
地震から半年が経ち、輪島病院では外来患者が6割ほどまで回復しました。今後、病院の機能を取り戻す上で介護医療院を長く続けることはできないといいます。
「本当は病院機能を戻したい」しかし、福祉施設では…
河崎国幸 事務部長「市民からすると、これは非常に使い勝手の良い事業所として存在しているとは思いますが、ただ、これが民業圧迫するという事態になれば話は変わってくるなという状況は思ってます。将来的には病院の機能をしっかりと発揮する上では現時点では介護医療院はやっていますけど、ホントは病床に戻していきたいという思いが強いです」
再開時期を模索している輪島市の特別養護老人ホーム「輪島荘」。
建物を案内しながら、猪谷圭一郎理事長は「直せないところもあるんです。例えば閉めるでしょ…そしたら、傾いているのが分かります」と被害の状況を説明します。ここでは、施設に続く道路が崩れ停電や断水が続いたことから、利用者全員を他の施設に避難させています。
猪谷 理事長「輪島荘においては、6月めどに再開をしますと震災直後からもうお話をしましたので、職員さんは8割以上残って頂いているのが現状です」
しかし、当初予定していた6月になっても施設は再開できていません。猪谷 理事長は、背景に補助金の申請手続きの煩雑さがあると話します。
猪谷 理事長「補助金をもらいますので、(行政が)見に来るんですけど、(修復後を見ないと)査定ができないといわれた。事前の着手の写真を照らし合わせて、ここまで見れる見れないって、現地で公表しますと。先に(検査を)やって欲しいという話をしたんですけどね。」
修理に必要な補助金の査定には国の担当者の調査が必要です。調査結果が出るまでは補助金の対象となる修理の範囲が分からず、修復は限定的になります。
猪谷 理事長「例えば、ここがひび割れしていたら、…全部が張替えすることは出来ないんですわ。この部分しか変えたらダメと、いう決まりがある」
災害からの復旧工事は原状復帰が原則。補助金の範囲内で収めるため、あちこちの壁紙がつぎはぎだらけになっていました。
6月5日。施設の再開に向けた話し合いが行われました。多くの職員がインフラの復旧を待って避難先から輪島に戻ってきました。職員らは「しおりちゃん、仮設には入れたの?」「いや、入ってないです」と互いにそれぞれの状況を語り合います。
この日報告されたのは、市外に2次避難している利用者家族の声です。
「見捨てられた感がすごくあるから…」利用者家族の声、職員らの声…
ケアマネージャー「ほんとは…輪島に連れて行けばいいんだろうけど、考えてるという方、お二方ほど聞いたんです」
猪谷 理事長「今、問い合わせがすごいげん。いろんなところから。これから仮設住宅に今入ってくるでしょ?そしたら入ってきた場合、そっからまた認知症の人が増えてくる」
ケアマネージャー「そうですね、場所が変わりますからね」
出席したケアマネージャーは「生活基盤がしっかりしてらっしゃる方は「戻したい」とおっしゃったんです。でも、お仕事が無くなったりとか、ご自宅が倒壊された方は「迷っている」と仰ってました。『どうしたらいいだろう』って。みなさん『働きたくても、働ける職場がない』わけじゃないですか」と現状を説明します。
利用者本人だけでなく、家族の住む場所や職場など生活の基盤が整っていない現状への不安。施設では予定より2か月遅れの8月の再開を目指すことになりましたが職員が懸念するのはまちの復興の遅れです。
参加した職員「見捨てられた感がすごくあるから…やっぱり福祉もそうですけども、まずは道路ですよね」
猪谷 理事長「ただ、こうして市役所さんの意見も聞いてたら、あのひとらもいっぱいいっぱいになっとるげんて。わかるし」
参加した職員「大変なんでしょうね」
猪谷 理事長「国主導にやったら一番手っ取り早かったと思う」
猪谷 理事長は「輪島に戻っても仕事がある、住むところがある。まずそれが、大前提だと思うんですわ。ここで働く人ももちろんですし、元の輪島に戻ってもらいたいという部分もありますし、ここで生活したいと思えるような輪島市でいてほしいというのはあります」と話します。
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