能登半島地震で被害を受けた奥能登の地域では、仮設住宅の建設が進み、新たな生活が始まっています。一方で、地域に残る人たちは住民が戻らず集落が消滅するのではとの不安を抱えています。

家をめぐっての世代間の思いのギャップが背景にあるようです。

石川県輪島市門前町の山あいの集落、谷内和田(やちわだ)地区は、地震の前まで25軒の家におよそ50人が暮らしていました。

高崎覚さん(69)は、この地区で区長を務めています。

門前町谷内和田地区・高崎覚区長

門前町谷内和田地区・高崎覚区長「(地震発生当時)ここにザーッと畳敷いてここに何人寝てたかな?6人くらいここに寝てたかな」

地震発生からおよそ2か月間、このガレージで自宅に住めなくなった多くの人が寝たり、食事を取ったりしていたといいます。

その時、住民同士で話していたのは「次のすみか」についてでした。

高崎覚区長「再建する家のカタログ見ながら、平屋のメーカーごとに色んな可愛い家とか、それからお客さんが来る家とかいろんなパターンが(あって)、カタログ見てワイワイと楽しそうに話してましたね。(ここに)畑もあるし田んぼもあるしここ以外におるとこないやろって感じでしたね、その時も」

その後、多くの住民が仮設住宅などに移り、今地域に残っているのは6軒、13人ほどです。

この土地を離れたくないと話していた住民たちの気持ちも、家を建てる高額な建設費用や、子どもたちの反対にあうなどして大きく変わっていったといいます。

高崎覚区長「今ここに家を建てたら、それがまた今度解体せんなんような負の遺産になってしまう。子どもたちは金沢に来てアパートに入れとか。自分の家に来いという人はいないみたいですけどね」

過疎地に残る家は「負の遺産」谷内和田地区の多くの家も、公費による解体を機会に壊されるといいます。

高崎覚区長「誰もいなくなって農地が荒れ放題になるっていうのは、10年から20年後には必ずなってたんで、地震で10年から20年早くなったということかもしれない」

谷内和田地区は、住民の平均年齢が75歳を超えるなか、高崎さんは「親の世代はみんな戻りたいと思っている」と話します。

しかし、遠くで暮らす子ども世代は家を負の遺産ととらえる。

奥能登の過疎地が抱えてきた問題が、今回の地震でよりあらわになっています。

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