西日本豪雨から6年です。岡山県倉敷市で川の合流点付け替えが終わるなどハード面の復興が進んだこの1年。一方で目に見えないのは人の思いです。穏やかな日々が戻った喜び、一方で苦悩や寂しさを抱える人もいます。

(被災を経験した人)
「6年間いろんなことがありましたけど、みなさんのご協力を得まして何とか無事。いずれにしても水に対する恐怖は残っていますけれど、そういう面さえなければ本当に復興したって感じがします」

西日本豪雨で特に被害が大きかった倉敷市の真備地区です。

降り続いた雨が濁流となり、堤防が決壊しました。岡山県全体で関連死を含め95人が亡くなりました。

6年が経ち、災害の爪痕は遠目からでは分からなくなりました。

(出口和弘さん)
「これが真備船穂の山車、完成したばっかし。私が作ったんですけど」

去年4年ぶりに復活し、今年も開かれる真備・船穂総おどりで引くという山車です。

(出口和弘さん)
「ここにお姫様を乗せて…ここに座ってもらって」

6年前、真備町有井にある男性の自宅周辺一帯も水に浸かりました。わずかに残る壁の色の違い、その上から青色でつけた線。

「ここまで(水が)来たんです。やっぱり忘れないということですよね」

水に浸かった時は「もう死んだほうが良かった」と思ったが…

今月オープンした復興のシンボル、まびふれあい公園です。そのすぐ近くに住むのが自宅が全壊しながらも真備町に住み続けたいと家を再建した岡賢人さんです。

(岡賢人さん)
「こういった公園もこれが復興のシンボルになるというのもいいんですけれど、子どもたちの声が聞こえるというのがいちばんいいかなと。けっこう楽しみなんですね。帰ってきているねというのが感じられるので」

(被災を経験した人)
「浸かった時には思ったんで。もう死んだほうが良かったかなと思よったんじゃけど、みんなに助けてもらいました」

元にもどった事ばかりではありません。

(記者)
「Q どんなことで復興を感じる?」

(被災を経験した)
「復興といっても昔のあれ(関係性)がなくなってしまった近所隣、隣のこともわからんことが多いです。会わない、隣でも会わないことがしょっちゅう」

(記者)
「Q 公園ができたり家が建ったりと、そうういう部分では復興していると思うが?」

(被災を経験した人)
「それでも帰っていない人もけっこうおられるよ」

亡き妻との思い出の詰まった家を自力でなおしてきたが…

今も点々と残る空き地。人口は被災前の2018年6月と比べ1割以上減っています。

今はほとんどが新築やリフォームの家になった末政川の周辺。全壊判定を受けたにもかかわらず、その家に1人で暮らし続けている男性を訪ねました。林良太郎さん、89歳です。

(記者)
「Qあれから6年経ちますけど…」

(林良太郎さん)
「水害からそんなになるかな。もう6年になるかな。屋根の上にわしは逃げたがな」

もともと左官職人だった林さん。豪雨以前に亡くなった妻との思い出が詰まった家を手放すことはできないと、自力で修理を続けてきました。

(林良太郎さん)
「家内と2人でここまでごそごそやってきたんじゃけんなあ。使えたら使った方がええなと思って。思い出もあるしね」

6年という時の流れは、林さんから家を修復し続ける体力を奪っていました。

(記者)「Q 壁を塗っていたでしょう?」

(林良太郎さん)
「途中やめじゃ。もうちょっと塗りゃええがと思ようた。それが足が弱うなって、とうとうようせなんだ(岡山弁で「できなかった」の意)」

(記者)「Q ちょっと心残りですかね?」

(林良太郎さん)
「それがそう、もうちょっとな。元気があれば2階でも粗壁をつけてな、するんじゃった。惜しかったなあ」

6年が経ち、変わった思いと変わらない思い…

(出口和弘さん)
「いつまでも引きずりたくないっていうのと、それから『ちゃんとやったよな』っていう気持ちだね」

災害の痕跡が目を凝らさなければ見えないほどに回復した町。一方で「復興への歩み」という言葉だけではくくることのできない1人1人の6年があります。

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