美術家・中村邦夫さん(52)は、能登半島地震で壊れた被災者の器を伝統技法「金継ぎ」で修復するボランティアを行っている。中村さんは器を直すことは「その人の思い出や記憶を直すこと」だと話す。

復興への苦悩と決意-。「金継ぎ」された器には被災者それぞれの物語がつまっている。
輪島市にある旅館「輪島温泉八汐」の谷口浩之常務(51)が修復を依頼したのは、母親である女将が大切に使っていた花器だった。

「山が動いている」広がり続ける震災の傷跡

1959年に創業した旅館「輪島温泉八汐」は日本海を一望できる高台にある。1988年には皇太子ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)が宿泊された。「八汐」は輪島市を代表する旅館の一つだ。

元日の夕方、震度7の地震が「八汐」を襲った。旅館の駐車場には館内にいた客や、津波警報が出され避難してきた近隣住民など、一時500人以上が集まったという。谷口浩之常務(51)は防寒のために旅館の布団を配ったり、お腹をすかせた人には売店のお菓子や茶菓子を渡したりしたというが、「当時の細かいことは覚えていない」と話す。宿泊客やスタッフは全員、無事だった。

一方で、旅館の被害は甚大だった。天井は剥がれ落ち、ロビーの床には地割れで亀裂が入った。そして、旅館の裏にある山が今も土砂崩れで動いて、被害は今も広がり続けているという。壁に入った亀裂も「少しずつ広がっている」と谷口常務は話した。

地震発生直後、ここに亀裂は入っていなかった

地震からの「復活」 諦めていた女将の花器

今回、谷口常務が中村さんに修復依頼したのは、母親である女将が大切にしていた「花器」。季節の花を生けて玄関や客室に飾り、利用客をもてなしていた器だ。しかし、地震で花器の一部が欠けてしまった。保管場所もないため、廃棄するしかないと考えていたという。

器を預かって2週間後、中村さんは花器の「金継ぎ」を終えて、谷口常務に器を返却した。欠けた部分の形を生かし、海岸に浮かぶ太陽や月をイメージして「金継ぎ」したと中村さんは説明する。地震があった日から、「これは壊れずに無事だ」と残ったものを見つける日々だったという谷口常務。「金継ぎ」された器を見て、こう話した。

旅館「輪島温泉八汐」谷口浩之常務
「これは生き残ったというよりも、復活したって感じ。諦めていたものが、『金継ぎ』で復活するという体験をすると、元気や勇気がもらえて嬉しい。女将も花器が直って喜ぶと思う」

能登半島地震から半年「再建へのスタートラインが見えてきた」

谷口常務は「八汐」を再建させたいと考えているが、具体的な計画はまだ“何もない”。

公費解体を受けるためには「半壊」以上の認定を受けた「罹災証明」が必要だ。しかし、最初の調査の結果は「一部損壊」。そこで谷口常務は今年2月、再調査を依頼した。4か月が過ぎた6月中旬、ようやく2次調査が行われて、「八汐」は「中規模半壊」の認定を受けた。

旅館「輪島温泉八汐」谷口浩之常務
「公費解体ができないのではないか、ずっと不安だった。ようやくスタートラインが見えてきた。これからスタートラインに立つ準備を始め、8月にはスタートラインの上にいるのではないか」

旅館の前の道路が隆起しているため、重機が入ってこれるのか。公費解体の順番はいつ回ってくるのか。課題は山積みだ。しかし・・・

旅館「輪島温泉八汐」谷口浩之常務
「公費解体ができるのか分からなかったので、先々の心配をすることも今までは出来なかった。どんな形で再建を進めていくか、具体的な相談ができるようになったのが嬉しい」

壊れた花器を“復興のシンボル”に 「金継ぎ」でつなぐ

再建した後、スタッフを集めることができるのか。輪島に観光客は戻って来るのか。それは何年後になるのか。不安なことは沢山あるが、旅館を再建したら玄関やロビーに「金継ぎ」した花器を置きたいと谷口常務は話す。

旅館「輪島温泉八汐」谷口浩之常務
「皆さんの目に触れやすいところに飾りたい。諦めていたものが、皆さんの目に触れるころには『輪島も復興したな』って思ってもらえるんじゃないか」

旅館「輪島温泉八汐」 谷口浩之専務

中村さんは、なぜ器を直し続けているのか。

美術家・中村邦夫さん
「『金継ぎ』は過去の器を未来に繋げるための作業で、みんなが修復したいのは、そこに込められている時間や記憶なのではないか。小さな修復は大きな修復にも繋がると思う。『前より良くなったね』って前向きになってもらえるように、細やかながら手伝いができたら嬉しい」

美術家 中村邦夫さん

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