“3番目の司法判断”として注目される裁判が、18日に判決を迎えます。
新潟県で水俣病の症状を訴えながらも、国の基準で患者と認められなかった人たちが、国と原因企業に対して損害賠償などを求めている『新潟水俣病訴訟』です。

提訴から10年あまり。
原告団は「全ての被害者の救済」を誓い法廷へ向かいます。

阿賀町で生まれ育った皆川栄一さん(80歳)。
裁判の原告団長を務めています。

船頭をやっていた父親と一緒に3歳のころから阿賀野川で釣りをし、とれた魚を毎日のように食べていました。
鮎の塩焼きに、サケが入った味噌汁…。
今でも、この食生活が皆川さんにとっての日常です。

「頭からかぶりつくの。最高だ!うまい!」
「阿賀野川の魚は最高だ!」

しかし、この日常が皆川さんの人生を一変させたのです。

1965年に公式確認された『新潟水俣病』。
旧鹿瀬町(かのせまち・現阿賀町)にあった昭和電工の工場排水により、阿賀野川にメチル水銀が流れ出し、汚染された魚を食べた人たちに手足のしびれや感覚障害などが出るようになった公害病です。

1967年に昭和電工に対して損害賠償を求める「新潟水俣病第一次訴訟」が起こされ、原告が勝訴。その後、認定申請が認められなかった人たちが、国や昭和電工などを訴える裁判が繰り返されました。

国は問題の“最終解決”を図るため、症状を訴えながら認定申請が認められなかった人に療養費などを支払うという救済措置を盛り込んだ特措法をつくり、2010年に申請の受け付けを始めました。
しかし、受付はわずか2年あまりで締め切られ、この特措法の救済を受けられなかった人たちが2013年に起こしたのが『新潟水俣病 第五次訴訟』です。

特措法の救済を受けられなかった人たちによる『新潟水俣病 第五次訴訟』では、149人の原告が、国と昭和電工に対して全被害者の救済措置や、1人当たり880万円の損害賠償を求めています。
ただ裁判は長期化し、原告の平均年齢は77歳を超え、判決を聞くことなく既に31人が亡くなっています。

【新潟水俣病第五次訴訟 皆川栄一 原告団長】
「これ以上、引き延ばしっていうのは絶対許せないですよ。特措法の復活になるか、それとも別の制度を作ってもらって全員救済の道を早期に設けると…」

新潟と同様の裁判は、大阪・熊本・東京でも起こされています。

大阪地裁は2023年9月に、原告128人全員を水俣病と認め、国などに賠償を命じる歴史的な判決を言い渡しました。
一方、熊本地裁は、原告の一部を水俣病と認めたものの、「発症を起算点とすると、20年以上がすでに経過し、損害賠償請求権は消滅している」として、原告全員の訴えを棄却したのです。

熊本地裁の判断に、新潟水俣病第五次訴訟の原告団長・皆川栄一さんは、
「被害者の気持ちを踏みにじる許せない判決でありました。熊本のようなあんなひどい判決は絶対にないと私たちは信じております」と憤りました。

『新潟水俣病第五次訴訟』は大阪・熊本に次ぐ3番目の司法判断として注目されています。

【新潟水俣病第五次訴訟 皆川栄一 原告団長】
「国の責任が認められれば、原告1人ひとりが水俣病の被害者だっていうことが認められる可能性は十分ありますから。この裁判が大きな分かれ道になると思います」

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