昭和に一時代を築いた文豪・太宰治は6月19日が誕生日となります。これにあわせて、青森県弘前市では太宰の高校時代の下宿などを巡るツアーが企画され、訪れた人は太宰文学の原点に触れていました。

1909年6月19日に五所川原市金木町で生まれた文豪・太宰治。18日は、生誕前日祭と銘打ち、弘前市で街歩きが行われました。

太宰の写真に花を手向け、ファン約10人がゆかりの地巡りに出発です。

一向が訪れたのは弘前大学です。太宰は1927年から3年間、現在の弘前大学、旧制の弘前高校で学生生活を送っていました。これを受け、キャンパスには、太宰を描いたレリーフや文学碑が建てられています。

参加した人は、弘前ペンクラブの瀬川紀雄さんにガイドをしてもらいながら、卒業生の名前を記した石碑で太宰の名前を見つけるなどしていました。

弘前ペンクラブ 瀬川紀雄さん
「津島修治(太宰治)と書かれています」

このあと、訪れたのは太宰が3年間下宿した「太宰治のまなびの家」です。
下宿先で太宰の部屋は2階にある6畳間でした。当時、この部屋でくつろぐ姿が写真に残されています。憧れていた文豪・芥川龍之介を意識し指をあごにあてるポーズをとったものもあります。

ただ、太宰の生活は次第に乱れていき、高校3年生の12月、20歳で初めての自殺未遂を起こしていました。

弘前ペンクラブ 瀬川紀雄さん
「数学の試験を受けたくなくて、結局受けなかったんですが、全て忘れようとしたんでしょうね。睡眠薬を多量に飲んで昏睡状態になります」

このほかにも、部屋には太宰が書いたとされる数式の落書きも残されています。ツアーに参加した人は、学生時代から芸者遊びを始めて、青森市にも足しげく通ったことなどを教わりながら、太宰の多感な青春時代が色濃く残った空間をじっくりと見ていました。

太宰ファンは
「ここから青森まで小山初代のところに通ったとか心中事件何回もやってるそういうのがやはり(印象的)。年代をこえてみんなに知られている読まれている作家だと思いますね」

太宰は、弘前での学生時代はのちに小説の題材にもしていて、参加した人は、太宰文学の原点となる場所に触れながら青森を代表する文豪をしのんでいました。

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