年俸は数年で「数百万円」から「数億円」に2ケタアップ。地元・岐阜のチームから世界のトップチームにまで駆け上がった、29歳のサッカー選手が久しぶりに岐阜に帰ってきました。岐阜を離れて6年。今もファンから愛されるのはその“人柄”です。

サッカーJ3のFC岐阜の本拠地、岐阜市の長良川競技場。チームカラーは「緑」ですが、8日のホームゲームでは「青色」の日本代表のユニホームがいたるところで掲げられました。

お目当ては…イギリス・スコットランドのプロサッカーリーグ強豪、セルティックに所属する古橋亨梧(ふるはし きょうご)選手(29)。

(サポーター)
「亨梧おかえり!」

2017年、当時J2だったFC岐阜でプロのキャリアをスタートさせた古橋選手。その後、日本代表にも選ばれ、いまや年俸は数億円とも言われ、J2という下部リーグから異例とも言える出世を果たしました。

(サポーター)
「一番最後まで彼は練習していた。こういう子が伸びるというのを実践してくれた」
「岐阜で初めて世界へ飛び立ったレジェンド」
「レジェンドですよね」

中には、古橋選手に会うために現地・スコットランドまで行ったファンもいました。

「(FC岐阜が)オファーをくれて、最後の最後で拾ってくれた」

プロ1年目。FC岐阜で、当時J2に降格していた名古屋グランパス相手にシュート。チームの中でもきらりと輝く存在でした。

(セルティック 古橋亨梧選手 8日 岐阜市内で)
「僕が住んでいたところは(案内MAPに)ないな」
Q岐阜が似合いますね?
「うれしいですね。川もきれいやし」

今は世界を舞台に戦う選手になりましたが、大学卒業後、プロ選手になれるかどうかの瀬戸際だったといいます。

(セルティック 古橋亨梧選手)
「このクラブ(FC岐阜)がオファーをくれて、最後の最後で拾ってくれた。たくさんのファン、サポーターが良いときも悪いときも応援してくれて、このクラブがなくてサッカー選手じゃなかったらどうなっていたんだろう」

ギリギリ入ったというプロの世界でしたが、岐阜での活躍が認められ、2年目の途中に、J1のヴィッセル神戸に移籍。スペインの名プレイヤー イニエスタともプレーし、ゴールを量産しました。

2021年に世界的なビッグクラブ、スコットランドのセルティックに移籍。去年、ヨーロッパ主要リーグで日本人初となる得点王に輝きました。

今回古橋選手は、シーズンオフを利用して、古巣の岐阜を訪れることに。

(セルティック 古橋亨梧選手)
「(FC岐阜に)僕から電話して『ことし行きたいなと思ってます』と伝えた」
Q古橋さんから行きたいと?
「毎年、狙っていたんですけど来られなかったので」

サポーターたちの前で「次のワールドカップに出ることが目標」

8日、試合前のトークイベントに出演することになっていた古橋選手。少し早く会場に到着しましたが。

(FC岐阜スタッフ)
「(開始まで)10分くらいある」

(セルティック 古橋亨梧選手)
「(サポーターたちが古橋選手に)気づいてますよ。気づいちゃってますよ」

前座の子どもたちのダンスを邪魔したくないと、チームが用意した小さめの車に乗って身を隠す心配りです。そして…。

(セルティック 古橋亨梧選手)
「たくさんの人が来てくれて本当にうれしい。とにかく緊張しています」

トークイベントでは、岐阜での思い出話を披露したほか、およそ1年遠ざかっている、日本代表を再び目指すと決意も表明しました。

(セルティック 古橋亨梧選手)
「もっともっと得点してもう1回、日本代表に、次のワールドカップに出ることが目標です」

サポーターたちからは大きな拍手。古橋選手は、FC岐阜のファンにはプレー以外にも印象に残っていることがあるようです。

(サポーター)
「昔から好青年で、(練習で)ボール集めとか積極的にしていて、いいイメージしかない」
Qゴール取るよりボール集め?
「ゴール取るのもあったんですが、雑用でもなんでもこなす」
「看板を片づけたり裏方の仕事ができる。それをみんな見ているので」

確かにトークショーの後、次の出番のマスコットを通すために、テントを自ら持ち上げる姿が…謙虚な姿は変わっていませんでした。地元・岐阜から世界に飛び立った古橋選手。ファンはさらなる活躍を期待しています。

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