<Q> スペインとフランスにまたがるバスク地方に古くから暮らしてきたバスク人は270万人いて、血液型Rhマイナスの比率が高いそうです。クロマニョン人が壁画を描いたといわれるアルタミラ洞窟もバスク地方の近くにあります。バスク人はどこからやってきたのか、またクロマニョン人との関係はどうなのでしょうか=名古屋市昭和区、60代男性 <A> バスク人の外見は他の欧州人と変わらないようです。一方、バスク語は他の欧州の言葉とまったく異なり、系統不明とされています。ルーツはどこなのか、古くから興味の的でした。  さてクロマニョン人の化石は1868年、南フランスのクロマニョンで発見されました。アルタミラと同様に有名な壁画があるラスコーも、バスク地方を取り巻くエリアにあります。ただその後、欧州、北アフリカ各地でクロマニョン人化石が見つかり、年代は4万~1万年前にわたります。欧州人全体の祖先という見方が有力となり、バスク人が直系の子孫であるとはいえなくなりました。  米ハーバード大の研究者らが2019年、イベリア半島の人々の古代DNAを大規模に分析した結果を、米科学誌サイエンスに発表しました。それによると紀元前900~200年までの鉄器時代、中欧や北欧から大規模な流入が半島全体にあり、イベリア半島の人々の特徴が形成されました。バスクではその時代の遺伝形質がそのまま保たれました。他の地域では、その後、地中海や北アフリカからの流入があり、形質にも変化があったということです。

バスク独特の紋章「ラウブル」の木細工を売る店=スペイン・バスク州ゲルニカで、萩尾生・東京外国語大教授提供

 バスクの地域研究を専門とする萩尾生(しょう)・東京外国語大教授は「鉄器時代以降、周囲との接触が少ない時期が一定期間続き、古い言語を保つ独自の集団になったようです。ただ古代DNA研究には新たなデータが蓄積されつつあり、これで決まりというわけではありません」と話します。血液型の偏りについては、明確な結論はないようです。  バスクは、昔から人材を輩出しています。戦国時代の日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルもそのひとりです。南米に渡ったバスク人も多く、アルゼンチンやチリなどで大統領になっています。 (吉田薫)


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