2022年9月、茨城県高萩市で母娘2人の命が奪われる痛ましい事故があった。酒気帯び運転の車が、時速100キロを超えるスピードで対向車線にはみ出し、2人が乗る車に衝突した。なぜ事故は起きたのか?
「草野球の試合に間に合わせたかった」
制限速度を50キロもオーバーしてまで、被告の男が急いでいた理由。
「今日くらい飲んだら?」
普段は控えていたにもかかわらず、深夜まで大量に飲んでしまった酒。
男が少しずつ積み重ねた“過ち”で、事故が起きてしまったことが見えてきた。
草野球当日に寝坊「間に合うから行く」
事故現場となったのはゆるい上りのカーブ。制限速度が時速50キロの道路を時速約106キロで走行していた小林翔被告(28)の車が、カーブを曲がりきれずに対向車線にはみ出し、対向から来た軽乗用車にほぼ正面から衝突。軽乗用車に乗っていた小原テイ子さん(79)と娘の幸子さん(53)が搬送先の病院で死亡した。
事故直後の現場では、小林被告が運転するワンボックスカーが横転、小原さん親子が乗っていた軽乗用車はフロントガラスが割れるなど前部が大破し、事故の大きさを物語っていた。
小林被告が免許を取得したのは19歳のとき。それ以来この日までの約7年間、無事故・無違反の「ゴールド免許」だった。そんな小林被告が初めて起こした事故が、2人の命を奪ってしまった。
事故当日、小林被告は草野球の試合に出場する予定だった。試合開始は午前8時半。しかし目覚めたのは8時過ぎ。寝坊してしまったのだ。小林被告が集合時間を過ぎても姿を見せなかったため、心配した草野球のチームメイトから電話がかかってきた。
「今日は来なくていい」
そう言うチームメイトに対し、小林被告はこう返した。
「間に合うから行くわ」
小林被告は車に乗り込み、自宅からおよそ10分離れている球場に向かったという。
この草野球の試合。実は小林被告はピッチャーとして登板する予定だった。しかしチームには、他にもピッチャーがいたという。
【被告人質問】
ーー他にもピッチャーはいたのですか?
「いました。いきなり頼むことはできなかったので、何としても行かなくてはという思いでした」
「自分が試合に出られないことで迷惑をかけたくない」
そんな思いから向かってしまったという小林被告。
自身があのとき出していたスピードについて問われると。
小林被告
「速かったと思います。間に合うように、という思いがあり先を急いでいました」
試合に間に合わせる、その一心で運転を続けていたため速度のメーターは見ていなかったという。記憶はカーブを曲がる手前までにとどまり、気がついた時には車が横転していた。
小林被告の車が対向車線にはみ出してから衝突までの時間は、わずか1秒ほど。この1秒で、無事故・無違反だった7年間はすべてが変わってしまった。
小林被告
「『やってしまった』と思いました。何てことをしてしまったんだろうと自分を責めました」
事故現場にいた小林被告は、野球のユニフォーム姿だったという。
“酒はもともと好きじゃない” 控えていたはずの飲酒
事故からおよそ2時間半後、呼気検査で基準値の2倍以上となる1Lあたり0.35mgのアルコールが検出された。小林被告は酒気帯び運転だった。
事故前日の夜は、勤務先である建設会社の社長や同僚と共に酒を飲んでいた。焼き肉店でビールやハイボールあわせて3〜4杯飲み、その後はキャバクラを2軒まわって、焼酎の水割りを2杯程度と、テキーラをショットグラスで1〜2杯飲んだ。帰宅したのは日付が変わった午前2時だった。
これだけの酒を飲んでいたにもかかわらず小林被告の口から明かされたのは、「もともと酒は好きではない」ということだった。健康と仕事への影響を考え、普段ほとんど飲酒はしておらず、飲むのは家族の誕生日など祝い事に限られていたという。
それでも酒を飲んだのは、社長にこう誘われたから。
「今日くらい飲んだら?」
この日は小林被告が成し遂げた大きな仕事の功績をたたえる会が開かれたのだという。
【被告人質問】
ーー野球の試合が翌日にあるのに、お酒はなぜ控えなかった?
「そんなにガバガバ飲んでいるつもりはなかったです。もともと好きでもないし、すすんで飲んではいないです」
ーー飲酒運転は違反と知っていたのになぜ運転した?
「野球に間に合うようにという思いが強く、飲酒に関する考えは一切なかったです」
ーーお酒は今後飲む?
「飲まないです」
好きでもない酒を、せめて深夜まで飲んでいなければ…
寝坊した時点で、試合に向かうのをやめていれば…
チームメートから「来なくていい」と言われたのに、従っていれば…
積み重なった”過ち”。
振り返れば、立ち止まれるポイントはいくつもあったのかもしれない。
遺族が望むのは「厳罰」ではなく「同じ悲劇が繰り返されないこと」
遺族の小原保幸さん(テイ子さんの長男、幸子さんの兄)は、裁判のなかで遺族として意見陳述を行った。
「次帰ってくるのはお正月だね」
お盆で帰省した際に交わした、母テイ子さんとの最後の会話を振り返りながら、小原さんは語り始めた。
【遺族の意見陳述】
小原さん
「半分夢の中のような状態は今でも消えきらないです。母がいないという事実は外出しているか泊まりに行っていると感じます」
事故が起きた道路は、幸子さんが、離れた場所で暮らす母テイ子さんを車に乗せてスーパーに行く道だったという。ほぼ毎週末行く買い物は、2人にとって楽しみな恒例行事になっていて、この日もいつものように買い物に向かう途中だったとみられている。
小原さん
「被告はどれだけ危険な運転をしているのか、危機感や想像力が全くないと感じました。大丈夫だろうと車を走らせてしまい、取り返しのつかない事故を起こしました」
小原さんは小林被告に対しこう語った。しかし、続く言葉は小林被告に対する「怒り」や「憎しみ」ではなかった。小原さんが望むのは、小林被告が「厳しい処罰を受けること」ではないのだ。
小原さん
「最後にしてほしい。同様の事故があると悲しみがぶり返します。同じような悲劇が根絶されれば、1人でも2人でも犠牲になる人が減れば、亡くなった2人への償いになります。」
二度と同じ悲劇が繰り返されないこと、それが小原さんの何よりの願いである。
事故後、小原さんは小林被告に対して「同様の事故が減るよう啓発活動に取り組んでほしい」と伝えた。被告はそれに応えるように、飲酒運転の撲滅活動を行う団体の掲示板に、自分が犯した過ちについて匿名で書き込み、思いを発信しているという。
【小林被告の最終陳述】
小林被告
「このたびは危険な運転により2人の命を奪い、申し訳ございませんでした(一礼)。啓発活動についても全力で取り組み、償いの活動を続けていきたいです。」
小原さんの願い通り、小林被告は最終陳述でこれからも啓発活動を続けていくと、はっきり述べた。
2024年5月24日、迎えた判決で小林被告に言い渡されたのは懲役11年(求刑:懲役14年)。裁判長が最後に主文を繰り返した後、小林被告はまっすぐ前を見ながら無言でうなずいた。
判決後、小原さんは「被告本人が少しでも早く事故をなくす活動を始められることを望んでいる」と話した。
亡くなった母親と妹に、いま何を伝えたいか、小原さんに聞いてみた。
「今回の事故が無駄にならないように。これからも無駄にならないようにしていくよと伝えたい」
そう言葉に力を込めた。
TBSテレビ 報道局社会部千葉担当 石田夕希
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