大阪大学に通う24歳の大学院生の女性。
この春からおよそ280キロ離れた南信州の泰阜村で生活しています。
彼女が泰阜村に来たワケとは?
「おはようございます。よろしくお願いします」
2024年の春、長野県の泰阜村にやってきた大原理彩子(おおはら・りさこ)さん。
地元は、280キロも離れた大阪府吹田(すいた)市です。
午前8時、1日の活動が始まります。
運転歴はまだ半年余り。
山間地の道路に悪戦苦闘しながらもだんだんと慣れてきました。
大原理彩子さん:
「最初は本当に怖くて車幅がまずわからない。車一台分なんじゃないかと思うくらい狭い道で」
実は大原さん、村からある「ミッション」を受け、その達成のため村内をめぐっているのです。
山の中をおよそ1時間進み、この日、向かったのは…
大原理彩子さん:
「おはようございます。お邪魔します。お世話になります、エプロン持ってきました」
「栃城(とちじろ)」と呼ばれる集落。
40年近くアマゴの養殖・加工や販売を行う木下千代(きのした・ちよ)さんの作業場です。
この日は、天龍村のイベントで販売する郷土料理=五平餅づくりのお手伝いです。
「はい、(準備)できました」
およそ20合のうるち米を使って60本を作ります。
五平餅を作るのも食べるのも初めてという大原さんに、木下さんが優しく作り方を伝授します。
木下さん:
「手が熱いけど、こうしてご飯を少し並べて、串をあんまり頭を出し過ぎずに、こういうふうにして、また適当に(ご飯を)少しずつこうしておいて」
村からのミッション達成のため、まず取り組むのが村の人たちとの関係づくり。
「熱い!」
「できました。このぐらい?少ない?いい?」
実は大原さん、東京のNPO法人が運営する「緑のふるさと協力隊」の隊員。
農村での活動や暮らしに関心を持つ若者を全国の自治体に派遣し、地域の活性化などに取り組むプログラムで、泰阜村にとっては、2018年以来6年ぶりの受け入れです。
大原理彩子さん:
「日本の自然や伝統が好きだったり、文化に触れてみたいというのがあって」
大原さんは、大阪大学の大学院生。
学生時代に東日本大震災の被災地について学ぶ中で、復興や地域おこしに関心を持つようになりました。
就職活動を控えた2023年、自分のやりたいことを考えたとき、真っ先に思い浮かんだのが農村でのくらし。
大学院を1年間休学し、泰阜村にやってきました。
大原理彩子さん:
「なにかになるための下積みで来たというより、今しかできない経験だと思って。おもしろそう、えいって飛び込んだようなところが大きかった」
木下さんのもとに来るのはこれで4回目です。
木下さん:
「あっさりして、すぐ溶け込んで、きのうまでお付き合いしとったみたいにお話ができましたに」
泰阜村で生活を始めて1か月余り。
村民との交流の機会も増え、いよいよ、この日、村から課されたミッションに初挑戦です。
大原理彩子さん:
「泰阜村に移住したい人とか、なにかやってみたい、関わってみたいという人に向けてこの村ってこうですよとか、こんな人がいますっていう紹介する記事を書くのよ」
大原さんのミッションは、1年間で村民100人にインタビューしてネット記事にすること。
村への移住推進につなげるためです。
木下さん:
「心を割って話してくれれば移住してきても住みやすくなると思うんだに。なにかしている人のお手伝いをするとか、秋になれば柿を干したりする仕事があるから、少しずつ出て何かするとか」
移住者の一人でもある大原さんならではの視点で初めてのインタビューに挑戦。
笑顔を意識した大原さんの柔らかな雰囲気が話しやすい空気を作り出しました。
「じゃあお邪魔しました」
地元から遠く離れた慣れない土地での生活。
最初は不安もありましたが、村の人たちのおおらかさに触れ、生活はだんだんと軌道に乗ってきました。
大原理彩子さん:
「誰と話しても柔らかい雰囲気で、和やかでゆったり時間が流れるようなそんな雰囲気があるなと思います。1人で暮らしてはいるけど見守られているような感覚」
泰阜村で始めた新たなくらし。
夢は大きく広がります。
大原理彩子さん:
「誰よりも泰阜村のファンになって詳しくなりたいなと思っていて、どこへでも行ってみていろいろな話を聞いたり、いろいろなものを食べたりして、村を味わい尽くして帰れたらなと思っています」
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。