今年3月、石川県珠洲市の10人家族に新たな命が誕生しました。能登半島地震で被災し出産前に思い描いていた未来とはかけ離れた生活を送る中、子どもたちの笑顔が家族の支えになっています。

朝早くから朝食の準備を進めているのは珠洲市飯田町の米田留美子さん43歳。時計店を営む夫の幸助さんと子どもたちと一緒に、今年1月から金沢で避難生活を続けています。

8男1女の“11人家族”を一挙に紹介

米田さんは8男1女の11人家族。面倒見がいい長男で高校1年生の匠寿さんと何でも気が利く三男で小学5年生の壮助くんは起きてすぐにお手伝いを始めました。

8男1女の母 米田留美子さん
「洗濯は子どもたちが畳んでくれる。ずっと小さい時からやってもらったのでそんなもんやと思って手伝ってくれているケンカしながらの時もある」

四男で小学3年生の灯志くんは、いま、キャスターボードにはまっています。いつまでも気持ちは末っ子小学2生で5男の壮寿くんに家族の癒やし担当。6男で4歳の幸留くん。7男はワンパクな旺生くん 1歳です。

8男1女の母 米田留美子さん
「とにかく時間があっという間に。「起きて」って言っても起きてこないし。笑ってる場合じゃないね…。ご飯食べて」

紅一点の長女で、中学1年生の花笑さんは学校に行く準備を整えて食卓へ。小さい子にご飯を食べさせるのはお兄ちゃん・お姉ちゃんの担当です。

そのすきま時間で留美子さんは保育園の連絡帳を確認です。小さい子の朝食が終わるころに起きてきたのは家族いちマイペースの次男の至志くん。中学3年の14歳です。

そして、米田家に新たに仲間入りしたのが今年3月に誕生した8男の幸生くん。一家のアイドルです。


最大震度7を観測した能登半島地震が発生した今年1月。留美子さんは当時、妊娠8か月でした。「今まで経験したことない本当にひどいこと経験したなと思う。でもそのひどい中でみんなで一緒にいられるのでそれはとてもありがたい」と話します。

幸助さんは身重の留美子さんと子どもたちのことを考え、震災2日後の1月3日、金沢への14時間かけて2次避難を決めました。

身重で避難…11人目の新しい家族

避難から2か月半後。予定日より10日早い3月18日、幸生君が誕生しました。

8男1女の母 米田留美子さん
「無事産めたーって思った。無事に産むために本当にいろいろな人に助けてもらったし無事に産めて良かったってそういう気持ちだった」

出産から1か月余りがたった4月28日、珠洲市飯田町に米田さん家族の姿がありました。自宅の片付けのため幸生くんの出産後、初めての里帰りです。

鉄骨4階建ての米田さんの店舗兼住宅は地震で傾き、さらに津波で1階には砂が流れ込んでいました。

花笑ちゃん
「海から結構離れているのにこんなところまで津波が来てるのは地震って怖いなと思った」

立ちはだかる“建物の解体”の壁

建物は、り災証明の1次審査で一部損壊の判定。この日はようやく2次審査の立ち合いです。米田さんの時計店は去年5月の地震で「準半壊」となり1000万円をかけて修理、今年1月に完成予定でした。しかし、今回の地震でさらに大きな被害を受け、店を解体するにも追加で1000万円かかるため米田さんは公費解体で助けてほしいと訴えます。

幸助さん
「全壊を期待するというのは本当に複雑な気持ちだけど、公費的な部分で税金を使っているので申し訳ないのですが本当に甘えさせていただけたらありがたい」

幸生くんと初めて歩くふるさと・珠洲市はまだ、大きく傷ついたままです。留美子さんは「復旧がだいぶ進んでいると聞いていて自分の思っていた想像はもっと復旧しているんだろうなっていうふうに思っていたのであまり変わってなくてショックも大きい」と肩を落とします。

震災から3か月半。金沢で学校に通いはじめた子どもたちも徐々に落ち着きを取り戻してきたと米田さんは話します。「前は友達どうしとるかなとか早く飯田小学校に帰りたいとか地震のことを話す機会も多かったけど、今の生活のことを楽しめるようになってきたところはあるかなと思う」

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。