26人が亡くなった大阪・北新地のクリニックで起きた放火殺人から3年。亡くなったクリニックの院長の妹が、兄の遺志を継いで、たどり着いた生き方とは。
北新地放火殺人3年 語り始めた遺族
2021年12月17日午前10時20分ごろ、大阪北新地のビルに入る心療内科で起きた放火殺人事件。患者やスタッフら26人が命を落とした。
被害に遭った人が最も多く搬送されたのは、現場から1.2キロの場所にある大阪府済生会中津病院。6人が運ばれ、全員が一酸化炭素中毒による心肺停止の状態だった。
午前11時13分、1人目の患者が搬送されてきた。患者は、5人がかりでストレッチャーからベッドに移され、酸素投与と心臓マッサージが続けられた。10分後、2人目の患者が運ばれてきた。ここでもすぐに心肺蘇生の処置が行われた。
さらに10分後、患者の数は4人に増え、病院中から30人以上のスタッフが集められた。
事件が起きた心療内科の院長、西澤弘太郎さん(当時49歳)も搬送されてきたが、既になすすべもなく、帰らぬ人となった。現場を統括した医師は、そのときの状況を振り返る。
大阪府済生会中津病院 救急科部長 栗田晃宏 医師
「おそらく救助されるのに時間が掛かってしまった。場合によっては、診察室の中の方に座ってらっしゃったのかなと思いました。最後の方に搬送されて、救命処置ができない状態ではありましたね」
被害者の多くが心療内科の患者だったこともあり、ほとんどの遺族や関係者がメディアの取材に口を閉ざした。
遺族「支援する側がもっとオープンにしないと…」
事件から3か月後、亡くなった西澤弘太郎院長の妹・伸子さんに話を聞くことができた。
亡くなった院長の妹 伸子さん(47)
「元患者さんだった人のコメントを見て、皆さん兄が亡くなられたことを悲しんでる方、不安に思われてる方がたくさんいらっしゃったので、どうしたらいいかなって。自分で何かできないかなっていうのをずっと思っていました」
オンラインで集まっていたのは、兄の元患者たち。クリニックを失った悲しみや不安を和らげようと、コロナ禍のオンライン上では新たな居場所が作られていた。
伸子さんはこの集いを知り、自ら参加していた。元患者らから聞く話は、兄の見知らぬ姿ばかり。伸子さんは事件から1年が過ぎた頃、ある決断をする。
それは、顔を出して取材に応じ、活動していくということ。
亡くなった院長の妹 伸子さん
「元患者さんがお話されていたときに、『支援する側がもっとオープンにしないと、誰も話さない、心を開かないですよ』という言葉がすごく響きました」
伸子さんは、夫と食べ盛りの息子2人の4人暮らし。主婦業の合間に、保護者会の活動や地元のレンタルスペースでランチの提供をするなど、忙しい日々を送っている。
医師と歯科医の両親の間に生まれた、伸子さんと兄の弘太郎さん。4歳離れた兄弟で、よく2人で遊んだ。
時々、プロレスの技をかけられることもあったが、いつも優しいお兄ちゃんだった。
伸子さんが、弘太郎さんの遺品で驚いたものがある。埼玉に下宿していた兄に、高校生だった伸子さんが書いた手紙だ。
手紙
お兄ちゃんが埼玉に向かってから、1時間たったというわけ。
さすがにお兄ちゃんがいなくなったので、さみしいもんです。
お兄ちゃんと一緒に朝まで勉強したことは、私にとって良い経験になったよ。
伸子さん
「すごく懐かしかったのと、ちゃんと置いてくれてたんだなって。捨ててもおかしくないのに置いてくれてたことが嬉しかったですね」
その後、兄は父と同じ内科の医師に、伸子さんは母と同じ歯科医になった。
伸子さんが結婚・出産を機に仕事を辞めた頃、弘太郎さんは大阪・松原市の実家で診療内科を開業した。心の病が原因で、体調不良を訴える患者が多かったからだ。その後、北新地にもクリニックを開業し、2つの施設で合わせて800人以上の患者と向き合っていたという。
伸子さんが弘太郎さんの姿を最後に見たのは、実家のある松原市の診療所だった。
伸子さん
「事件の1週間ぐらい前にすれ違ったのが最後でした。たまたますれ違って。車のエンジンかかってたと思うんで、また行くところなんやろなと思って声もかけずで」
容疑者は生活が困窮、社会から孤立を深め…
事件があったのは、金曜日の午前。北新地のクリニックには大勢の患者がいた。突然ガソリンがまかれ、火をつけられた。
事件を起こした谷本盛雄容疑者(当時61)はクリニックの元患者で、自らも一酸化炭素中毒で死亡した。
以前は、腕の良い板金工だったという谷本容疑者。スマートフォンには、交友関係を示す連絡先はなく、銀行口座の残高もほぼなかったという。生活が困窮し、社会から孤立を深める中、自暴自棄になり、他人を巻き沿いに拡大自殺を図ったとみられている。
伸子さん
「人間って、本当に人と関わっていかないといけないものだと思うんですよね。容疑者の人も、ほとんど学校の先生が覚えてらっしゃらないとか、もう存在がなかったとか、そういう人だったってお聞きして、すごく寂しい人生。誰にも『自分はこう思ってる』とすら言ってないような気がするんですよね。『それは間違ってるで』とか言う人がいてもおかしくないのに」
弘太郎さんの死後、元患者らは定期的に交流会を開くようになり、伸子さんも自然に参加するようになった。
行き場をなくした元患者らは、合う先生を探すのが難しいと口を揃えて言う。交流会のメンバーにとって、亡くなった弘太郎さんの妹・伸子さんは、特別な存在だ。
元患者・男性
「単純に、元気を伸子さんからもらえる。自分も前に進んでいこうとか、自分ももっと頑張ろうとか、というふうに思わせてくれる」
元患者・女性
「まだ私の中で西澤先生は今もきっと見ていると思うので、西梅田(北新地)の心のクリニックの診察券を毎日持っていて、お守りです」
このとき伸子さん自身が、遺族としての悲しみを直視できていないと話すこともあった。
“京アニ事件”との意外な接点
2023年9月、歴史的事件の裁判が京都で始まった。社員36人が死亡、32人が重軽傷を負った京都アニメーション放火殺人事件。現場にガソリンをまいて火をつけた青葉真司被告(46)が法廷で語り始めていた。
事件から2年後に起きたのが、北新地ビル放火殺人事件。谷本容疑者は、この“京アニ事件”を犯行前に調べていて、参考にしたとされている。
多くの人が巻き込まれたその真相に迫ることで、これまで直視できていなかった遺族としての感情に向き合う必要があるという思いから、伸子さんは青葉被告の裁判の傍聴に訪れた。
青葉真司被告
「たくさんの人が亡くなるとは、おもっていなかった」
軽率な気持ちで犯行に及んだ青葉被告。この日の裁判では、初めて遺族が被告に質問を投げかけた。
自分の愛する家族がなぜ殺されなければならなかったのか。遺族らは、被告の言葉の中に答えを探した。傍聴を終えた伸子さんは…
伸子さん
「奥様を亡くされた方が質問されていましたが、最後の質問で、『火をつけるときに、その方に家族がいるとか、子供がいるとか考えなかったんですか?』と質問されていて、『考えていなかったです』と答えていました。その時に、北新地の事件で亡くなられた皆さんに家族がいて、その皆さんのつらさとかを一気に感じた気がして、聞いていてつらかったです」
裁判を通して、これまで蓋をしていた遺族としての自分の感情と向き合った。
谷本容疑者と青葉被告には、もう1つ共通する点があった。それは、別の事件で服役していた過去があったということ。
加害者にも寄り添い、手を差し伸べることが新たな犯罪を防ぐ近道かも知れない。伸子さんは1つの答えにたどり着いた。
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