2024年3月にこれまで勤めていた放送局を退職した私は、タイ北西部のミャンマー国境地帯に拠点を置き、軍政を倒して民主的なミャンマーの実現をめざす民衆とともに、農業による支援活動をスタートさせた。
記者時代、頭を撃ち抜かれ糸が切れた操り人形のように倒れる若者、血まみれになった我が子の遺体を前に絶望の叫び声を上げながら頭を抱える母親、テレビのニュースでは放送することのできない状況を目にして、もはや記者という立場を超えて当事者として彼らを支援したいと思ったからだった。
2024年7月、ミャンマーから久しぶりに一時帰国すると、「忘れられた紛争地」という言葉が頭をよぎった。
軍事政権とのやり取り、異を唱える人は誰一人いなかったのか
帰国してしばらくして、ミャンマーから福岡市動物園に4頭のアジアゾウが到着した。
そのことを伝えるテレビニュースを目にしたが、そのニュースの中でミャンマーがいま、クーデター後の軍事政権下にあり、反発する国民への弾圧が続いているという事実は、触れられることはなかった。
強い違和感を覚えるが、その一方で「それはそうだよな・・・」と考えたりもする。
一般の視聴者からすると、ゾウ到着を伝えるほのぼのとしたニュースの中に、突然ミャンマーの現状に関する情報を短く盛り込まれても、混乱するだけだろう。
とは言え、このニュースを流しているメディア側の頭からも、この事実が全く抜け落ちてしまっているのだとしたら、それには危機感を覚える。
ミャンマーで続いている悲劇が、こうやって世の中から忘れられていくのだとしたら、それは国軍側の思うつぼだからだ。
「これがミャンマー国民の感覚なのだな」
ミャンマーのいわゆる民主派、つまり現在の軍事政権に反発する人々は、クーデターという暴力で実権を握った国軍を、ミャンマー政府として扱うこと自体が大きな間違いであると考えている。
この考えに基づく反応は、時にヒステリックに感じるほどだ。
クーデター直後、当時の丸山駐ミャンマー大使が、軍政が任命した「外相」に対し、市民への暴力の停止やアウン・サン・スー・チー氏の早期解放を求めたことがニュースになった。
私は、丸山氏の行動は民主派側に寄り添うものであると感じたが、これに対して特に若者を中心に日本への批判が噴出した。
それは、丸山大使が軍政が任命した人物を「外相」と認めたことに対しての怒りであった。
この時 私は、「これがミャンマー国民の感覚なのだな」と思った。
だから、その後の日本政府の対応も、日本財団が行った支援も、すべて軍政との交渉を経て行われている時点で、民主派の人々にとっては受け入れられないものになってしまうということが、正しいかどうかは別として、理解できた。
在日ミャンマー人有志の声 短く伝えたメディア
その感覚で、今回の福岡市動物園へのゾウの受け入れを考察すると、やはり違和感がぬぐえない。
受け入れの方針自体は、アウン・サン・スー・チー氏の民主政権時代に大筋で固まったものであったとは言え、今回ゾウを移送するための具体的なやり取りは、現在のミャンマー軍事政権の担当部門との間で行われたはずだ。
その際に福岡市は、ミャンマーの現状について検討したのだろうか? 軍事政権とやり取りすることに、異を唱える人は誰一人いなかったのだろうか?
「クーデターのこと、国民への弾圧のことはこの際一旦忘れて、ゾウの受け入れを進めましょう」内部でのそんな会話が聞こえてきそうである。
ゾウの受け入れ直前に、在日ミャンマー人有志が動物園前に集まって、今回の受け入れが「軍に政治利用されてしまう」として、福岡市に対して批判の声を上げた。
各メディアが短く伝えたが、ゾウの受け入れ自体の是非を問う内容のニュースとはならなかった。
「ゾウさんのエサ代の寄付にご協力をお願いします」息子が通う保育園に迎えに行くと、入り口にこんな張り紙とともに、募金箱が置いてあった。
「忘れられた紛争地」という言葉と一緒に、アインたち避難民の人々の顔が、浮かんでは消えた。
(エピソード10に続く)
*本エピソードは第9話です。
ほかのエピソードは以下のリンクからご覧頂けます。
#1 川を挟んだ目の前はミャンマー~軍の横暴を”許さない”戦い続ける人々の記録
#2 野良犬を拾って育てる避難民
#3 農園の候補地を下見 タイ人の地主に不審者と間違われる
#4 治安の悪化のニュース そして深夜に窓を叩く音 恐る恐る外を覗くと・・・
#5 オクラを作ろう!ようやく動き出した事業
#6 アインの妻が妊娠 生まれてくる子供の未来は
#7 オクラの栽培がスタート しかし”目の前が真っ暗”に…支援とビジネスを両立する難しさ
#8 協力企業の撤退で振出しに戻った事業~日本にいる間に考えたこと
連載:「国境通信」川のむこうはミャンマー~軍と戦い続ける人々の記録
2021年2月1日、ミャンマー国軍はクーデターを実行し民主派の政権幹部を軒並み拘束した。
軍は、抗議デモを行った国民に容赦なく銃口を向けた。
都市部の民主派勢力は武力で制圧され、主戦場を少数民族の支配地域である辺境地帯へと移していった。
そんな民主派勢力の中には、国境を越えて隣国のタイに逃れ、抵抗活動を続けている人々も多い。
同じく国軍と対立する少数民族武装勢力とも連携して国際社会に情報発信し、理解と協力を呼びかけている。
クーデターから3年以上が経過した現在も、彼らは国軍の支配を終わらせるための戦いを続けている。
タイ北西部のミャンマー国境地帯で支援を続ける元放送局の記者が、戦う避難民の日常を「国境通信」として記録する。
筆者:大平弘毅
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