軍艦島の名で知られる長崎市の「端島」は、海底に眠る「黒ダイヤ」=石炭を採掘するため、小さな瀬と岩礁を埋め立てたコンクリートの人口島です。島内に自然の緑はほとんどなく「全島廻って1~2本の貧相な木がある以外に緑は全くない」(軍艦島の生活〈1952/1970〉より)。島民たちの「緑」への熱い思いによって、高層アパートの屋上が菜園や園芸の場へとなっていきました。
高島町教育委員会が発行した「端島(軍艦島)」によると、1963年(昭和38年)頃から端島の緑化運動が盛んになり、島外の高島と香焼町から土を運んで、アパートの屋上に植物園が造園されました。
同年にNBCが撮影した映像には、小学校の教室に並んだたくさんの鉢植え、その鉢植えを取り囲み観察日誌をつける子どもたち。珍しそうに、楽しそうに土をいじる様子が記録されています。
またその5年後、1968年(昭和43年)の映像には、屋上の「青空農園」で立派に実ったキュウリやトマトなどを島民が収穫しています。
子供会の「青空農園」。子どもたちがバケツで一杯ずつ土を運び、9回の屋上に作った農園です。テレビアンテナが林立する屋上は、狭いながらも立派な「緑」の畑になりました。野菜の「収穫祭」も開催、田んぼで米も作られたといいます。
島の緑化は、コンクリートで覆われた島の子どもたちに土の温もりを感じて欲しい親心が、実現を後押ししたものでもありました。
多くの島民が、高層アパートのベランダや廊下でも様々な花や草木を育て大切にしていました。コンクリートの島で暮らす島民たちの「緑」に対する熱い思い。
しかし、1971年(昭和46年)「端島小学校・中学校、児童・生徒達が育てていた花木が塩害で枯死」(端島(軍艦島)より)。端島が閉山する3年前のできごとです。
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