北海道江別市の空き家に侵入し、金品を盗んだとして逮捕されたのは、これまでに有罪判決を15回受けてきた88歳の男でした。
人生の50年以上を刑務所で過ごしてきた男は、なぜまた90歳を目前にして罪を犯してしまったのか?
判決を前に、札幌拘置所で記者が面会し、男の言葉に耳を傾けました。
(HBC報道部記者:三栗谷皓我)
札幌市内に降った初雪が少し道路に残った11月下旬の朝。私は札幌拘置所の面会室で、人生の大半を塀の中で過ごした男を待っていました。
刑務官に支えられ、扉の向こうから姿を見せたのは海野秀男被告88歳。壁や机に両手をついて、やっとのことで歩を進める様子は、とても犯罪を繰り返せるような状態ではないように見えました。
これまでに受けた有罪判決の数15回。服役と出所を繰り返し、50年以上を塀の中で過ごしてきた男です。
海野被告は、2024年5月に北海道江別市の空き家に侵入するなど、常習的に窃盗を繰り返したとして逮捕・起訴され、4日後に札幌地裁での判決を控えていました。
海野秀男被告(88)
「今度は生きて帰れないが、またこの年で懲役に行くのは恥ずかしい」
なぜ海野被告は、何度も犯罪に手を染めなければならなかったのか。アクリル板越しに私の目をまっすぐ見つめながら、その理由を話してくれました。
海野秀男被告(88)
「悪いことさえしていれば、金はできたから抜けられなくなった。まともな仕事はしたことがない」
福岡県で4人兄弟の末っ子として生まれた海野被告は終戦後、家族で静岡県に移り住みました。実家は静岡市内で和菓子店を経営し、比較的裕福な家庭だったといいます。しかし、当時の日本は戦後の混乱期。治安の悪化などの影響は海野被告の家庭にも及びました。
海野秀男被告(88)
「戦後まもなくで、町でも働くところがない、殺伐とした時代だった。兄がヤクザになって家庭内がごたごたして。兄は足のくるぶしまで墨を入れていた」
面会室の天井を見上げ、「兄の影響もあったと思う」と振り返る海野被告。その表情はどこか寂しそうにも見えました。
13歳で実家を出て、不良仲間と上京。上野の地下道で寝泊まりをし、公営ギャンブル場や、築地市場などで“スリ”を繰り返して生活するようになっていきました。
人生で初めて矯正施設に入ったのは13歳の時。施設の中で知り合った非行少年や暴力団関係者との繋がりが、犯罪を繰り返す悪循環につながったといいます。
海野秀男被告(88)
「自分の住んでいる社会には、まじめな人間なんて1人もいない。だけど悪いことをする奴らは、仲間に対して男気があるやつが多い。それを恩に感じて、何とか“楽”させてやろうという気持ちになって盗みをした」
家族との縁を切っていた海野被告に身寄りはなく、刑期を共にした元受刑者たちが、社会に出た時の唯一の心のよりどころでした。
身元引受人になってくれた人。アパートを借りてくれた人。携帯電話を契約してくれた人。手を貸してくれたのは皆、塀の中で知り合った仲間でした。
そして「また一緒に盗みをやろう」と誘われたといいます。
海野秀男被告(88)
「体が元気だと悪いことできるから余計に働く気がない。金に不自由することはなかったから」
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