11月13日に92歳で亡くなった谷川俊太郎さん(1931~)は、生前、岡山の詩人・永瀬清子さん(1906~1995)と親交があり、永瀬さんが亡くなった後もたびたび岡山を訪れていました。
ー2016年2月に放送した記事で、谷川さんのお人柄、永瀬さんとの交流を振り返ります。
2016年 岡山で「永瀬さんのちゃぶだい」を朗読
2016年2月、生誕110年を迎えた岡山県出身の詩人永瀬清子さんは、現代詩壇をリードする詩人・谷川俊太郎さんと長年の交流がありました。
谷川さんは、「永瀬清子さんのちゃぶだい」という詩を書くほど永瀬さんの詩に魅力を感じるといいます。
谷川さんは、赤磐市で開かれた永瀬さんの詩の朗読会でその詩を読みました。
「日々の汚れた皿が永遠の水にすすがれている今日のささやかな喜びが明日への比喩となる永瀬さんのちゃぶだい」
谷川さんが永瀬さんを追悼するために書いた「永瀬清子さんのちゃぶだい」です。
永瀬さんの生涯が描かれています。永瀬清子さんは、1906年、現在の赤磐市松木に生まれ、金沢や東京などで過ごしたのち39歳で岡山に戻りました。家事や育児、農業の傍ら、89歳で亡くなるまで詩を書き続けました。
(生前の永瀬清子さん)
「自分の思っていることを誰かが受け取ってくださることの喜びというかね」
(谷川俊太郎さんによる永瀬清子さんの詩の朗読)
「イトハルカナル海ノゴトク 我ハ渝ラヌモノニシテ 微生物ノタダヨフママニ 我ガ内ニ光ルモノアリ 消ユルモノアリ ユラメキタダヨヘド我ハマドハジ 流レ去ルトモ我ハ忘レジ」
1988年 谷川俊太郎さんが語った永瀬清子さんの魅力「非常に強い調べがある」
1988年、RSKテレビは谷川さんを取材していました。
(谷川俊太郎さん)
「私が初めて永瀬清子さんの詩を読んだ本です。『諸国の天女』(昭和15年)」。
「イトハルカナル海ノゴトク」も収められたこの詩集に谷川さんが出会ったのは、10代後半の頃だといいます。当時の印象を語る映像が残っています。
(谷川俊太郎さん)
「これは永瀬さんのやはり確か2冊目の詩集だったと思いますけど、そのときにはまだ本当に永瀬さんの詩の素晴らしさみたいなものは分からなくて、ただ他の詩人たちの詩と違って非常に強い調べがあるというのが好きでしたね。
谷川さんの書いた「永瀬清子さんのちゃぶだい」からは、永瀬さんの生き方が感じとれます。
(谷川俊太郎さんによる朗読)
「沈みかけた太陽と遠い海と隠れた権力者とさまよい続ける兵隊がちゃぶだいをかこんでいる」
谷川さんの詩には、永瀬さんが戦争中、夫を戦地へ送り出し、言論統制の中で自由な表現ができなかった悔しさも描かれています。
(生前の永瀬清子さん)
「こんなにみんなで歓呼して送り出すのは本当は間違っているんじゃないかと一人苦に思ったことがあります。どうにも仕方がなかったんですけど。情報局が来て必ず雑誌を見るわけ。表紙はこれではいけないとか、こんな言葉を使ったらいけないとかいちいち言われるんですよ。だから書く気がしなくなるんですよ」
「女でなければ誰が書く」永瀬清子さんを敬愛した谷川俊太郎さん
戦争中の苦い思いは、戦後、永瀬さんを「世界連邦」という平和への活動に向かわせることにもなりました。また、女性の社会進出にもその先駆者として力を尽くしました。
(谷川俊太郎さん)
「世界的な女性の詩人ですね。私からみると永瀬さんの詩というのは本当に女でなければ誰が書くという言い方をしているくらい女性であることの意識が強いんですよね」
「昼間のからだの火照りのさめぬまま女の手が万年筆を握るちゃぶだいの祭壇で言葉は天を指す緑の茂み」
永瀬さんは、主婦として母親として農婦として暮らしながら「ちゃぶだい」という日常空間から世の中を見つめ詩を生み出したのです。谷川さんは、そのことが他の詩人にはない魅力だと語ります。
(谷川俊太郎さん)
「決して永瀬さんは自分の女性としての生活を呪ったりはしていなくてそこにまたすごく素晴らしい喜びや美しさを感じていた方なんですね。生活と自分の書く詩がちゃんと一致してそれで力強いリアリティを持っている詩人というのは残念ながら女性の永瀬さんしかいないという風に思っています」
永瀬さんがちゃぶだいに向かい詩を書いた姿を「ちゃぶだいの祭壇で言葉は天を指す緑の茂み」と表現した谷川さん。
緑の茂みとは、永瀬さんの詩そのものです。永瀬さんの詩は、今も、谷川さんの心に光を放っています。
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