街をさまよう「お母さん」の後ろ姿が頭の中に残った
<荒川河川敷に住む女性ホームレスは、台風の影響を受け、寝る場所もままならない。息子に頼るも、連絡がつかず...。在日中国人ジャーナリスト趙海成は、そんな彼女の境遇に胸を痛ませる。連載ルポ第8話>
※ルポ第7話:東京に逃げ、ホームレスになった親子。母は時々デパートに行って「ある作品」を作っていた より続く
6月3日、晴れになった。自転車に乗って、まずコンビニに行って軽食と飲み物を買い、荒川鉄道橋のそばのお母さん(編集部注:荒川に住むホームレスの老婦人のこと)の家に直行した。
その青いテントの前に着くと、私は大声で「お母さん! 趙です」と叫んだ。
「ちょっと待ってください。片付けたら出てきます!」テントの中からお母さんのよく知っている声が聞こえてきた。
これでやっと、私の心の中にぶら下がっていた石が地面に落ちるように安心することができた。
しばらくして、お母さんがテントから出てきた。
手にはプラスチックのバケツを持っていて、バケツには水にまみれた雑巾がいっぱい入っていた。テントの中の水たまりを取り除くのに忙しいのか。雑巾を外で絞って、テントに持ち込んで、と同じ作業を繰り返している。
お母さんはこの日、朝から昼まででテントに出入りする回数は少なくとも60回だと言う。テントに溜まった水を出した後、今度は小さなほうきでどこからともなく出てきた黒い虫や小さいカニを追い払った。お母さんは、これらの小さな生き物はテントの中をあちこち這っていて、一刻も落ち着かないのだと言った。
大雨の後の面倒なことは次から次へと続き、お母さんは私に話をしながら、テントの中で雨に濡れた服を一枚ずつ外に出して干し始めた。
台風の後、テントの中から出てくるお母さん。忙しくてたまらない「息子さんは来ましたか」と私は聞いた
私はついに、気になっていた質問をした。
「この台風の前後で、息子さんはあなたの所に来ましたか」
彼女はしばらくためらってから言った。「何日も経ちましたが、息子は一度も来なかったです。早く戻ってきて引っ越しを手伝ってくれるのを期待していたのに。私はもうこのテントに戻りたくありません。小さな虫やカニたちが怖いんです」
お母さんの率直な話を聞いて、私は何も言うことができなかった。こんな頼れない息子に何を期待できるだろうかと、私は思った。
「あなたには今、濡れていなくて、虫やカニに邪魔されない居場所が一番必要です。疲れているので、よく寝なければなりません。そうしましょう、クッションベッドと乾いた布団を買ってきて、テントの中を整理して、クッションベッドが入るようにしてあげます」
残念なことに、お母さんは私の提案を受け入れてくれなかった。
「ありがとうございます。でも、私は息子が来るのを待ちます。もし私がこんなに人に面倒をかけていると彼が知ったら、必ず不機嫌になります。私は今日、息子にまた電話をかけてみて、いつ来られるか聞いてみます。彼は最近仕事が忙しいので、私に会いに来なかったんだと思います」と、お母さんは言った。
お母さんから「会いたい」という電話が掛かってきた
翌日の昼、私はお母さんから電話を受けた。イオンの前の電話ボックスにいて、すぐに会いたいとのことだった。
「スーパーの入り口のベンチに座って待っていてください、すぐに行きますから」と私は答えた。
10分後、自転車でスーパーに着いた。お母さんが私の言ったベンチではなく、歩道のそばに座っているのが見えた。自転車を置いて、歩いてそこに行き、彼女と並んで座った。
お母さんは、「隣の人に私たちの話を聞かれたくないので、ここに座って待っていた」と説明してくれた。
窮地に陥り、追い詰められて居場所のない彼女だが、プライドは忘れていないのだろう。
歩道のそば座っていたお母さんは、数日間でずいぶん老けたようだったお母さんは昨日の午後、荒川の森を出てから一度も帰らなかったのだという。
彼女が私を呼び出したのは、いま孤独で無力だから。心の中にしまっている言葉を吐き出したいのだ。息子はそばにいないし、何日も電話が繋がらない。周りには信頼できる人も、心を開いて話せる人もいない。
だから、お母さんはもう、日本人が大事にする「他人に迷惑をかけない」という美徳を気にしていられなくなったようで、週末にもかかわらず私を呼び出して、心の内を話したいと言ったのだろう。
実はお母さんの本音は、ホームレスの隣人への不満もあるし、彼女自身の過去のこと、息子のことなどもある。お母さんが何を言っても、私はずっと耳を傾けていた。
このままではお母さんの生活が危ない
お母さんが私に会いに来てほしいと言った日、彼女は手元にあった自作の小さな巾着袋を全部私に渡して、「1つ800円で、また売ってくれませんか」と言った(編集部注:巾着袋については、第7話参照)。
お母さんがそう言って私に頼んだのは、彼女の今の生活に危機があったからに違いない。
私はお母さんに言った。「わかりました。この18個の小さな布袋は全部受け取って、今すぐお会計します」
私は1万5000円を渡して、彼女の手に握らせた。このお金があれば、お母さんは少なくとも10日間くらいは飢えることはないと思った(お母さんの年金口座は息子が握っている)。
お母さんと別れて1時間後、私は買い物をして自転車で一旦家に帰り、再びイオンの前を通ったとき、またお母さんの姿を見た。彼女は今度はスーパーの入り口のベンチに座っていた。そばに傘とショルダーバッグが置いてある。
お母さんは今夜、通行人に見えるこの場所で寝ることはないと思うが、どこに行って寝泊まりするのだろうか。
3日後の夕方、赤羽公園へと続く歩道で、その見慣れた後ろ姿を再び見た。白髪混じりで腰と背中が少し曲がっていて、よろよろと歩いている。お母さんはまだ外を漂泊しているようで、定まった休む場所がないに違いない。
気象庁は、台風3号が伊豆半島に接近し、暴風雨が再び襲ってくる可能性があると予報している。
お母さんよ、これからあなたは日々をどのように過ごしますか。
私はどうすればあなたを助けることができますか。
※ルポ第9話(10月23日公開予定)に続く
[筆者]
趙海成(チャオ・ハイチェン)
1982年に北京対外貿易学院(現在の対外経済貿易大学)日本語学科を卒業。1985年に来日し、日本大学芸術学部でテレビ理論を専攻。1988年には日本初の在日中国人向け中国語新聞「留学生新聞」の創刊に携わり、初代編集長を10年間務めた。現在はフリーのライター/カメラマンとして活躍している。著書に『在日中国人33人の それでも私たちが日本を好きな理由』(CCCメディアハウス)、『私たちはこうしてゼロから挑戦した――在日中国人14人の成功物語』(アルファベータブックス)などがある。
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