「完全勝利」を目指すイスラエルもまた見果てぬ夢を見ている(写真は、イスラエル兵の死を悼む人々) REUTERS/Gonzalo Fuentes

イスラエルによるイスラム教シーア派組織ヒズボラの最高指導者、ハッサン・ナスララ師暗殺は、中東における歴史的事件だ。イランの代理勢力であるヒズボラへの攻撃にイランが見せた反応からも分かるとおり、衝撃は中東全域、さらには世界に広がる可能性が高い。

ナスララの使命は、イスラエルを破壊することだった。それは、ユダヤ人殲滅についてヒトラーと話したパレスチナのイスラム教指導者ハジ・アミン・アル・フセイニ師から、イスラエル攻撃を「殲滅戦争」と表現したアラブ連盟のアザム初代事務総長に至るまで、無数のアラブ指導者たちから引き継いだバトンだった。


エジプトのナセル大統領(当時、以下同)は汎アラブ主義の象徴であり、「イスラエルを破壊する」と誓った。イラクのフセイン大統領とパレスチナの政治組織ファタハを設立したヤセル・アラファトは、ユダヤ人国家打倒という独自の夢を育んだ。そうした夢には常に、自分こそアラブ救世主の後継者であるとばかりの、少々の傲慢さが付きまとった。

フセイニ、ナセル、フセイン、アラファトの4人全員が汎アラブという壮大な夢の実現に失敗した。だがアラブの知識人たちの多くは彼らの妄想を守り続けた。知識人たちは近代化や世俗主義、社会や経済の発展よりも、空虚な汎アラブナショナリズムを優先させた。彼らにとってはイスラエルの存在こそが、自らの失敗を証明していた。

イランの最高指導者ホメイニ師によるイスラム革命は、スンニ派のアラブナショナリズムの失敗に対する、シーア派としての答えのはずだった。汎アラブ主義がしばしば裕福なスンニ派階級と結び付いていたのに対し、イラン革命はシーア派の下層階級の蜂起と捉えられた。

ところがシーア派もまた、アラブ大衆を解放することなどできず、失敗の道を歩んだ。イラン国外の代理勢力を大々的に支援するも、抑圧的で不人気な政権を生むばかり。その失敗から注意をそらすため、イラン指導者はイスラエル壊滅戦争にあらゆる力と資源を注ぎ込むようになった。


そんななか、ナスララはさながら新たなアラブの「夢の宮殿」になった。シーア派の下層階級がレバノンに君臨し、「小悪魔」イスラエルと「大悪魔」アメリカとの対決に暗躍するのだ。ナスララは、シリア内戦に部隊を送り、昨年10月にハマスが奇襲テロを行うや即座にイスラエルを攻撃。イスラエルによるポケベル攻撃も生き延びた。

ナスララはまだ何かを起こすだろうと考えられていたが、自らが固執した暴力という手段に倒された。これで、ナスララもただの妄想的支配者だったことが判明した。

命果てる瞬間まで、ナスララはイスラエル軍の浸透能力を理解していなかった。おそらく彼は、長年にわたるイランの手厚い支援に酔い、現実が見えなくなっていたのだろう。いずれにしろ、イランの夢の宮殿は今やボロボロ。イスラエルとイランの新たな対決は、はるか昔から明らかだった事実を露呈している──イラン主導のシーア派帝国のビジョンは、ハリボテだ。

悲しいかな、他方でイスラエル人は、「完全勝利」という危険な夢の宮殿を自ら築き上げた。イスラエルの軍事的成果を地域の安定に生かす方法もあるだろうに、現政権は啓蒙的国家ビジョンを示すどころか、周辺国との妥協点すら探らずにあらゆる前線で戦うことばかりに夢中になっている。


ナスララ殺害とイスラエルのレバノン南部侵攻を受けて、あるレバノン人教授はレバノンの「あらゆる世代」が「政治に目覚め」ており、「イスラエルは将来の戦争の種をまいている」と警告した。そして、暴力の連鎖も果てしなく続いている。

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シュロモ・ベンアミ
SHLOMO BEN-AMI
イスラエル元外相。世界各地の紛争解決を目指す「トレド国際平和センター」副所長。著書に『戦争の痕、平和の傷──イスラエルとアラブの悲劇』がある。

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