イスラエルのネタニヤフ首相はあくまでも強気(9月27日、ニューヨークでの国連総会で) EDUARDO MUNOZーREUTERS

<ヒズボラ最高指導者ナスララの暗殺成功は、危機的状況にあったネタニヤフ政権に一時の勝利をもたらしたが、イスラエル世論の支持はなく経済も悪化の一途>

イスラエルがレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラの最高指導者ハッサン・ナスララ師を殺害(9月27日)したことで、胸をなで下ろしたイスラエル人はたくさんいる。だが一番喜んだのは、おそらく首相のベンヤミン・ネタニヤフだ。長い政治家人生で最も困難な1年が過ぎようという時に、降って湧いた歓喜の瞬間だったと言っていい。

パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスが昨年10月7日に仕掛けた残忍な奇襲攻撃を、彼は防げなかった。そのことの汚点は、いくら頑張っても消せない。一方でレバノンに陣取るヒズボラとの交戦に終わりは見えず、ガザに残る多数の人質を無事に救出できる見込みもないままだ。


世論調査を見ても、ネタニヤフに国を率いる能力ありとする人はほとんどいなかった。総選挙をやれば、彼の率いる宗教右派連立政権は負ける確率が高かった。

しかし9月17日にはポケベルの遠隔操作でヒズボラ構成員多数を殺害するという劇的な成果が上がり、その10日後には指導者ナスララの命も奪えた。自分こそイスラエルの「安全を守る男」だと自負してきたネタニヤフの面目躍如──と言いたいところだろうが、そうはいかない。

ナスララ殺害の成功を受けて右派政党「新たな希望」の党首ギデオン・サールが政権への復帰を表明したおかげで、ネタニヤフ率いる連立与党の議席数は68となり、国会の過半数は維持できた。しかし、安心するのはまだ早い。

ナスララの死を受けてネタニヤフがほくそ笑んだのは当然として、興味深いのはその発言だ。軍と秘密情報機関モサドの功績をたたえるに先立ち、ネタニヤフは言ったものだ。「この間、イスラエル軍はヒズボラに強烈な打撃を与えてきた。しかし私は、まだ不十分だという結論に達した。故に(ナスララ殺害の)命令を下した」と。

何事も自分の手柄にしたがるのは政治家の常だが、それだけではあるまい。この間ずっと、10.7奇襲を防げなかった国軍を非難してきたネタニヤフとしては、ここで軍部やモサドを英雄に仕立てるわけにはいかなかった。


司法改革で対立激化

軍部との摩擦は、連立政権発足直後の昨年1月に発表した司法改革案にさかのぼる。表向きは司法の民主化策とされていたが、実は政権の政治的な都合に警察や検察、裁判所を従わせ、イスラエルを「自由なき民主国家」につくり替えようとする極右ポピュリスト勢力の構想だった。そしてネタニヤフ政権自身も、こんな改革には軍部も反対するだろうことを予期していた。

この危険な改革案には世論の猛反発があり、実現は難しいとみられていた。しかしそこへハマスとの戦争が起き、極右勢力に時ならぬ追い風が吹いた。極右のベツァレル・スモトリッチ財務相はパレスチナ自治区ヨルダン川西岸の統治に関する権限を掌握し、ユダヤ人入植者によるパレスチナ人への暴力を容認した。

国家治安担当相のイタマル・ベングビールも警察に対する支配力を強めている。彼らは口をそろえて、軍部や情報機関は弱腰で敗北主義者だと非難した。国軍幹部が画策し、ネタニヤフを失脚させるためにハマスの急襲を仕組んだという極端な発言まで出ていた。

ネタニヤフ自身は、10.7の責任を誰かに押し付ければ満足だったかもしれない。だが極右の宗教的保守派は、この機会に軍や情報機関から左派(つまり世俗派)を一掃したいと考えていた。

この試みはほぼ失敗に終わった。


同国のシンクタンク「ユダヤ人政策研究所」の調査によれば、ハマスとの戦争が長引くにつれて国軍への信頼は低下し、今年3月時点で75%だった軍部に対する信頼感は7月時点で43%まで落ちていた。

しかし、政府はもっと信用されていない。同じ調査で、政府への信頼感は同じ期間に35%から26%へ低下していた。別の世論調査でも、国民の多くは早期の総選挙を望んでおり、いま選挙が行われたら現政権は敗退するという可能性が示されている。

今のネタニヤフは対ヒズボラ戦勝利の美酒に酔っているが、その戦果をもたらしたのは軍と情報機関の実戦部隊だ。

しかも彼らの多くは予備役の軍人で、招集される前にはネタニヤフ政権の進める司法改革に反対するデモの先頭に立っていた。実際、ナスララの暗殺を敢行したF15飛行隊に所属する予備役兵士の過半数も、招集されるまではデモに参加していた。

それだけではない。9月の劇的な戦果は過去16年間にわたる緻密で執拗な情報収集活動のたまものだが、それを制服組トップとして率いてきたのはベニー・ガンツとガディ・エイゼンコット。いずれも今は野党の有力政治家だ。

つまり、無能だったのは軍や情報機関の指揮官ではなく文民の政治家だった。今の政権は最初の1年を無益な司法改革に費やした。10.7奇襲で多くの国民が犠牲になった後も、自らは地域住民の支援に乗り出さず、ボランティア任せにしていた。

ガザでの戦闘が長引き、アメリカとの関係が悪化しても、ネタニヤフはガザの将来的な統治に関する構想を示せずにいる。そして今も、そこには100人以上の人質がいる。


国の信用格付けが急降下

しかし現政権の最大の汚点は経済だ。戦争が長引けば経済に負担がかかるのは常識で、だからこそ歴代のイスラエル政府はできる限り戦争を避けてきた。

ところが財務相のスモトリッチは戦時予算を組もうともせず、ヨルダン川西岸への入植者や超保守派のユダヤ教徒に対する支援金をばらまいている。結果、今年第2四半期の経済成長率はマイナス0.2%に落ち込んだ。

格付け機関のムーディーズは9月27日、イスラエルの信用度をA2からBaa1へ引き下げ、「地政学的リスクの上昇」次第で評価はさらに下がると警告した。S&Pもイスラエルの格付けをA+からAに引き下げている。

9月後半における軍事的成功が今後のイスラエル政局にどう作用するか、現時点で推し量るのは難しい。直近の世論調査でネタニヤフ率いる与党リクードの支持率が上がったのは事実だが、ヒズボラとの戦争はまだ終わっていない。

10月1日に始まったレバノンへの地上侵攻で死傷者が増えれば、逆に政権批判が強まるだろう。イランの報復が終わる保証もない。

From Foreign Policy Magazine

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