イスラエルとイスラム組織ハマスの大規模戦闘が始まってきょうで1年です。イスラエルには取材を続けている増尾記者がいます。
イスラエル南部スデロットです。ガザからほど近いこの場所では、1年間のイスラエル軍による徹底的な破壊の爪痕が見えます。ガザのいくつかの地域からは煙が立ち上っており、イスラエル軍による攻撃が続いていることが分かります。
1年前に起きたハマスによるイスラエルへの奇襲では、およそ1200人が死亡、250人ほどが人質としてガザへと連れ去られました。
そしてそれを受け、イスラエルはガザでの軍事作戦を開始。きょうまでに4万1000人を超える犠牲者が出ています。このうち、実に3割以上、1万1000人以上は何の罪もない子どもたちです。
さらに、ガザではこの1年間、医療など人道状況が極限まで悪化するなかで、5万人を超えるとみられる赤ちゃんが誕生しました。しかし、そうした新たな命でさえ、ここではいとも簡単に奪われています。
人目もはばからず、泣き叫んでいるのは、ガザに住むムハンマド・クムサンさんです。8月にイスラエル軍の攻撃によって、自宅にいた家族を失いました。妻と義理の母、そして、3日前に生まれたばかりの双子のきょうだいも犠牲になりました。
いまも、ガザ南部で避難生活を続けるムハンマドさんがJNNの取材に応じました。
双子を亡くしたムハンマド・クムサンさん
「その日は出生証明書をもらうために家を出ました」
双子の出生証明書を受け取りに病院を訪れたムハンマドさんは、帰宅途中に電話で自宅に攻撃があったことを知らされました。
双子を亡くしたムハンマド・クムサンさん
「家族のいた部屋に向けて砲撃があった(と聞きました)。実は妻が…」
通訳
「空爆だ!今、爆発がありました。これが(ガザの)日常です」
インタビューは一時中断しましたが、状況を確認した後、再開しました。
双子を亡くしたムハンマド・クムサンさん
「(家族が)どんな罪を犯したというのか。彼らがいたのは安全な人道地区でした」
住んでいたのは、生まれてくる子どものために少しでも安全な場所をとガザ各地を転々として行きついた場所でした。
双子を亡くしたムハンマド・クムサンさん
「色々な準備をしていました。特にベビー服を。双子は男の子と女の子だったから、洋服を見つけるのは大変でした」
心躍らせながら準備したベビー服に子どもたちが袖を通すことはありませんでした。
双子を亡くしたムハンマド・クムサンさん
「子どもたちが成長して、“パパ”と呼んでほしかった。一緒に遊びたかった。世界中の子どもたちと同じように、教育の権利・人生の権利を与えてほしかった」
1年たったいまなお、終わりの見えない戦闘。ガザではこれまでに4万1870人が犠牲となっていて、そのうち、子どもは1万1000人を超えているとされます。
双子を亡くしたムハンマド・クムサンさん
「罪なき人たちが毎時間のように殺されています。この戦争が終わるその瞬間を待っています」
イスラエルとハマスの間ではこの1年、仲介国を通して、幾度となく停戦交渉が行われてきました。
ムハンマドさんはそのたびに、「今回こそは」という強い期待を抱いてきたと言います。しかし、そのたびに裏切られ、戦闘が止まることはなく、ついには最愛の家族を一瞬にして奪われました。
イスラエルは国際社会からの呼びかけを無視し、ハマスの掃討とガザでの軍の駐留を求めて譲らず、停戦交渉はいま完全に停滞しています。さらに、レバノンへの地上侵攻に踏み切り、イランとの緊張も続くなど、戦火を拡大させつつあります。
中東情勢はいま、混迷を極めていますが、そうした裏で、連日攻撃が続くガザでは、ムハンマドさんのように絶望の淵に立たされる人が毎日何十人、何百人も出続けているという現実から私たちは目を背けてはならないと思います。
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