写真はイメージです Alex Verrone-shutterstock
<2000年に17歳が起こした西鉄バスジャック事件。乗客1人が死亡、4人が重軽傷を負った。バスに居合わせ、重症を負った女性はなぜ...>
2000年5月3日に起きた西鉄バスジャック事件の記憶はいまだに鮮明だ。
神戸連続児童殺傷事件からわずか3年後の出来事であり、「ネオむぎ茶」というハンドルネームで「2ちゃんねる」に書き込みをしていた犯人が、神戸の事件の犯人(事件当時は14歳)と同学年である17歳の少年だったことも大きな話題となった。
サービスエリアに停車中だったバスに機動隊が突入し、少年が逮捕されるまでの様子はテレビで生中継されたが、あのバスの中にいたのが『再生 西鉄バスジャック事件からの編み直しの物語』(山口由美子・著、岩波書店)の著者だ。
「少年」が立ち上がったのは、バスが佐賀駅前を出発して、高速道路に入って間もなくでした。大きな包丁を振りかざしてはいますが、「少年」は、華奢な身体つきです。包丁を振りかざすというよりは、包丁に振り回されているような男の子でした。そんな印象でしたから、実のところ私は、あまり本気にしていなかったのです。「後ろに行けというから、まあ、行っておくか」程度の、切迫感のない気持ちだったのを覚えています。
「お前は、俺の言うことを聞いてない! 後ろに下がってない!」
そう言って私の目の前で、一人の女性客の首を彼が刺すまで、「少年」が本気だと思っていませんでした。(2〜3ページより)
著者はこの日、自分の子どもたちが幼い頃に世話になり、「恩師」と呼べる関係だったという塚本達子さんという女性と、福岡まで朝比奈隆氏の率いる大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会に向かうところだった。
28年間にわたり小学校教諭を務めたのち、「幼児室」という施設を主宰されていた女性であり、この事件で唯一、命を落とされた被害者だ。
ちなみに塚本さんは最初、バスは時間がかかるから電車にしようと話していたのだという。しかしその後、「やっぱりバスにしよう。高速バスなら、バスを降りたらホールまで歩いて行けるから」とのことで経路を変更したのだそうだ。
その結果、「少年」と乗り合わせたことを考えると、「あのバスに乗る運命だったのかもしれない」と著者は振り返ってもいる。
「自分でもなぜ湧いてきたのかわからない」思い
特筆すべきは、バスが乗っ取られ、命の危機に瀕しているにもかかわらず、著者が冷静な視点を保ち続けていたことだ。車内の描写は読むのがつらくなるほど生々しいのだが、それでも引き込まれてしまうのは、目の前にある現実を客観的に受け入れていることがわかるからだ。
「少年」の顔は、無表情です。全世界に心を閉ざしたような顔をした「少年」の姿に既視感があり、つらいんだな、と感じました。これは事件後に考えたことですが、「少年」のつらそうな表情が、不登校をしていた頃の娘の姿とオーバーラップして、彼がつらいんだと、直感的に思えたようです。(8ページより)
しかし、「家族の看病で疲れていて、居眠りをしてしまし、気づかなくてごめんなさい」と謝る女性の首を、「お前は俺の言うことを聞いていない!」と憤る「少年」が刺してしまったとき、「ああ、この子は、本気だったのか......」と気づいたのだという。
その後、運転手から「トイレ休憩も必要じゃないか」と声をかけられた「少年」がそれを了承したためバスが停まり、ひとりずつ順番にトイレに行くことになった。ところが、最初に降りた人が非常電話から警察に通報したことを知ると彼は激昂する。
「あいつは裏切った。連帯責任です」
と言いながら、私の顔面に包丁を振り下ろしました。
私は、反射的に両手で顔を覆いました。その両手首を、少年が何度か切りつけました。さらに後頭部を切られた私は、座席に座っていられなくなり、「キャー」と、言うともなく悲鳴をあげながら、我が身ではないように身体が倒れていきます。まるでスローモーションか何かのように、ふわーっとした感覚でした。(11〜12ページより)
そんな状況にあっても、「いま私が死んだら、この子を殺人者にしてしまう......」と、"自分でもなぜ湧いてきたのかわからない"思いが頭の中を通り過ぎたという。しかし、横にいた塚本さんが刺されたことはわかっていなかったようだ。
事件後にたどり着いた、子どもたちの「居場所」をつくること
いずれにしても、これだけの惨状を体験したのであれば、外傷のみならず、心にも大きな傷を負って当然である。ましてや大切な人を失っているのだ。著者が「少年」に対して憎しみを抱いたとしてもまったく不思議ではなく、むしろ当然のことだろう。
そうしなかったのは、不登校の娘が抱いていた気持ちと、「少年」のそれに共通するものを感じたからなのだという。
ともあれ著者はこの事件を契機として、「少年」個人の問題ではなく、同じような悩みを抱えた子どもたちにまで視野を広げる。そして行き着いたのは、はけ口を持たない子どもたちの「居場所」をつくることだった。
不登校の子どもたちが集まる場所をつくり、いろいろな問題を抱えた子どもたちと接することにしたのだ。そしてそんな中、子どもの本音から気づきを得たりもする。
「居場所」を始めたばかりの頃には、「どうにかしてあげなくては」と思う私がいたのです。わざわざ来てくれている人に、何か「おもてなし」や「サービス」をしなければならない、というのが習い性になっているのでしょうか。
一方、私の思いやふるまいとは別に、来ている子どもたちには、子どもたちの感じ方があります。不登校の子どもは、大人がどのような気持ちで自分たちに向き合っているのかを敏感に感じとる子が多いようです。「何かしなければ」と思っている私は見透かされ、「俺たちは、なんもしてもらわんでよか!」とズバリ言われました。(113ページより)
子どもたちを「ありのまま受け入れよう」と考えるようになったにもかかわらず、無意識のうちに「どうにかしてあげよう」としていた自分自身に矛盾を感じたわけである。
もちろん、そこに思い至ることができたのは、娘の不登校問題とバスジャック事件があったからなのかもしれない。とはいえ、紆余曲折を重ねながらも、こうした思いにたどり着いたことの価値は大きいのではないか。
「あなたの罪を赦したわけではない。赦すのはこれからです」
なお、事件をきっかけとして「居場所」をつくってから数年が過ぎ、事件から5年を経ようとするころ、著者は少年と面会することになる。
あの、か細かった「少年」は、見違えるほど体格の良い青年に成長していました。私は驚きと共にその姿に見入ってしまいました。5年の歳月は、確実に流れていました。
「少年」は、「大変なことをして申し訳ありません」と言いながら深々と頭を垂れ、謝ってくれました。(中略)
私はそれを、心からの謝罪だ、と感じました。
教官が「少年」のそばにある椅子を勧めてくれたので、私はぎこちなく座り、思わず彼の背中に手をやり、さすっていました。さすりながら、「これまで誰にも理解されず、つらかったね......」と声をかけました。そして、「だけど、あなたの罪を赦したわけではない。赦すのはこれからです。これからの生き方を見ているから......」と伝えました。(171〜172ページより)
それから間もなく、「少年」から手紙が届いたそうだ。
山口さんと出会い、申し訳ない思いを伝えた時、山口さんは泣かれました。私のことを思って泣いてくれました。私はそのとき、自分の罪深さと温かい思いが同時に湧き起こりました。(173ページより)
その言葉が嘘のないものだと思えたことで、著者は「私との面会は彼の心に響くものであったのだ」と実感できたという。
『再生 西鉄バスジャック事件からの編み直しの物語』
山口由美子 著
岩波書店
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[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。他に、ライフハッカー[日本版]、東洋経済オンライン、サライ.jpなどで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。ベストセラーとなった『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)をはじめ、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)、『書評の仕事』(ワニブックス)など著作多数。2020年6月、日本一ネットにより「書評執筆本数日本一」に認定された。
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