クイニョンのビーチでくつろぐ筆者と妻ジョシー BLAIR UNDERWOOD
<「あれはベトナム戦争じゃない。私らはアメリカ戦争と呼んでいる」軍人の父から聞いた戦争の話とは違う、休暇で訪れたベトナムで気づかされた新たな歴史の視点>
たいていのアメリカ人は、ベトナムと聞けばあの戦争を思い出す。遠くのどこかにあって、たくさんのアメリカ人が戦い、死んでいった国。私自身、そう思っていた。
私の父フランク・アンダーウッド・シニアはベトナムで戦った。もう92歳になるが、まだ元気だ。それでも年を取ると感傷的になり、戦場で目にした地獄の光景や仲間の兵士、ベトナムの人々のことを思うと胸がいっぱいになると、よく語っていた。
すごく大変な戦争だった、とも言っていた。右も左も分からぬ異国の地のジャングルの中で戦うんだ、わしらアメリカ人には本当に苛酷な環境だったよ......。
私の家族の間では、ベトナムと言えば戦場だった。そのベトナムが今では人気の観光地。妙なものだと、私は常々思っていた。
今年6月24日に、私と妻ジョシーは結婚1周年を迎えた。妻には6人、私にも3人の連れ子がいるから大家族だ。
私は毎年夏になると、必ず子供を連れて外国旅行に出かけていた。再婚後もその習慣を続けたくて、今回はベトナムへ行くことにした。
それを告げたときの父の反応には驚いた。父は少し考え、こう言った。「あそこは美しい土地、熱帯の楽園だよ。戦争の霧を通して見ていたときは気付かなかったがね」
行く前はベトナムに何が期待できるか、全く分からなかった。でも、旅は最初から最後まで素晴らしかった。
中南部のリゾート地クイニョンでは、漁師と一緒に直径180センチほどの丸い籠船で海に出るという冒険を楽しんだ。いろいろなツアーに参加し、街や旧市街を歩き、買い物をした。
中部のホイアンでは旧市街の食べ歩きツアーに参加した。5カ所の屋台に立ち寄り、どこも味は最高だった。特に牛肉のフォーはよかった。
私たちはアナンタラ・ホイアン・ホテルに宿泊し、豪華列車でダナンからアナンタラ・クイニョン・ホテルまで6時間の旅をした。車内にはバーやマッサージ室があり、一流レストランがあった。全てが5つ星の体験だった。
現地の視点で学ぶ歴史
クイニョンのリゾートの支配人で、ベトナム在住10年のスウェーデン人エリックから聞いたところでは、私の父のようにベトナムで戦った元アメリカ兵が集まって暮らすコミュニティーもあるそうだ。若き日に兵士として戦った苦い記憶に区切りをつけたくて移り住んだ人が多いらしい。
ベトナムの人々との出会いは本当に楽しかった。彼らの優しさと温かさに心を奪われた。ベトナム人の視点から歴史を学ぶことで、頭の中で点と点がつながっていった。
クイニョンでのある晩、私たちは釣りをするために車でビーチに向かった。運転手のチックは自国の歴史に詳しかった。戦争のことを聞くと、彼はこう言った。「あれはベトナム戦争じゃない。私らはアメリカ戦争と呼んでいる」。彼の返事は興味深く、私の視点を変えてくれた。
フランスによる植民地化の歴史、中国や日本との戦争、第2次大戦中の出来事など、彼は全て教えてくれた。何度も侵略を受け、植民地にされてきた国なのだと。
休暇でベトナムに行くべきかどうか、迷っている人に私は言いたい。迷わずに行くがいい。素敵な国だし、(アメリカ人にとっては)とても特別な場所だから。
■本人がベトナム旅行中に投稿した写真映像
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