テロ事件後のモスクワ郊外のコンサート会場(3月25日) Tom Grimbert / Hans Lucas via Reuters Connect
<モスクワ劇場テロでイスラム国(IS)系団体が犯行声明。大国同士の対立が生んだ亀裂を温床とし、過激派が世界に散らばり支持拡大を図る>
モスクワ郊外のコンサート会場で3月22日に起きたテロ事件は、どこかで見たことがあるような、不気味な感覚をロシア人に与えた。モスクワでは2002年10月にも、チェチェン共和国の独立派テロリストによる劇場占拠事件が起きて、130人以上の人質が犠牲になっているのだ。
今回の事件(これまでのところ死者144人以上)は、過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行声明を出している。ロシア当局が容疑者を尋問したところ、彼らはウクライナを目指していると語ったという。ネット上ではこの話が独り歩きして、一時は陰謀論が激しく飛び交った。
ところが、IS傘下のグループ「ISホラサン州(IS-K)」に注目が集まり始めると、全く異なる説が飛び出した。この事件は、欧米諸国がイスラム主義組織に成り済まして起こしたというのだ(主にロシアのメディアで取り沙汰されている説で、SNSで拡散している)。
こうした多種多様な陰謀論によって、一番得をしているのはISだろう。ISのアブ・フダイファ・アンサリ報道官は、事件の数日後に41分ほどの音声メッセージを発表した。
ただし、ロシアへの言及はごくわずかだ。代わりに重点が置かれているのは、ISが設立10周年を迎えたこと。そしてアフリカから東南アジアまで、世界中にプレゼンスを確立していることを強調して、ISは衰退したという見方を覆そうとしている。さらにISの戦士たちをたたえ、民主主義を非難した。
インドに甘いタリバンを叱責
このメッセージが発表される数時間前には、IS-Kがパシュトゥー語(アフガニスタンの公用語の1つ)で18分間のメッセージを発表している。アフガニスタンの政権を握るイスラム主義組織タリバンが、インドに歩み寄っていることを批判する内容だ(IS-Kはインドを反イスラム国家と見なしている)。
IS-Kは22年、アフガニスタンの首都カブールのシーク教寺院を襲撃する事件を起こした。このときインド政府は、安全のためにアフガニスタンに住むシーク教徒とヒンドゥー教徒の受け入れを申し入れ、タリバン政権が協力した経緯がある。
これまでにも、ISまたはIS-Kがインドを非難する声明を発表したことはある。しかし今回のパシュトゥー語のメッセージでやり玉に挙がったのはタリバンの行動であり、必ずしもインドや、その民主主義体制、あるいはヒンドゥー至上主義的な政治ではないことは興味深い。
モスクワの法廷に引き出された容疑者の1人 MOSCOWCITY COURT'S PRESS OFFICEーREUTERS21年の米軍のアフガニスタン撤退と、それに続くタリバンの権力掌握は、この地域の力学に大きな影響を与える出来事だった。ただ、アジアにおける新しい戦略的競争に軸足を移したいと考えていたアメリカにとっては、アフガニスタンから撤退することは難しい選択ではなかった。
難しい状況に陥ったのは、タリバンという強力な過激主義組織が政権を握るアフガニスタンに対処しなければならなくなった周辺諸国だ。
それまで20年間のアフガニスタンは、アメリカとNATOの軍事的な傘の下で比較的安定していたから、近隣諸国(中国やロシアを含む)は自らの戦略的利益を追求することに注力できた。アフガニスタン国内の民族を支援することで、その政治に影響を与えることもできた。だが、米軍が撤退したことで、アフガニスタンは「アジアの問題」になった。
とはいえ、ロシアや中国やイラン(いずれもアメリカにとって最大の敵対国だ)は、この状況を喜んでいる。例えばイランは現在、アメリカとの関係が過去最悪レベルに落ち込んでいるが、そんなときに国境の東隣にいたアフガニスタン駐留米軍という大きな重しが消えた。
今も続く米軍「アフガン撤退」の波紋
イランは歴史的に、アフガニスタン、とりわけタリバンと対立してきた。1990年代には、アフメド・シャー・マスードを最高指導者とする北部同盟(タリバンと対立していた軍閥のグループ)を支援していた。インドやロシア、タジキスタンなども、タリバンおよびタリバンに資金を提供していたパキスタンに敵対する軍閥を支援していた。
ところが21年になると状況は一変する。イランは復活したタリバン政権と正式な外交関係や経済関係を結び、健全なレベルの反欧米姿勢と、イランとの国境を比較的平穏に維持することと引き換えに、タリバン政権への支援拡大を提案した。
イランと最も親しい国であるロシアと中国もこれに続いた。この3国は全て、ある意味でタリバンをアフガニスタンの事実上の支配者と認めた。中国の習近平(シー・チンピン)国家主席は、タリバンが任命した中国大使の信任状を正式に受理した。
ロシアはソ連時代の79年に始めたアフガニスタン侵攻で米軍が支援した武装組織に痛い目に遭わされた経験から、今でもこの国への関与には及び腰だが、22年にはタリバンの外交官のモスクワ駐在を認めた。規制対象のテロ組織のリストからタリバンを外すことも検討している。
中央アジア諸国など周辺の国々も慎重姿勢を取りつつタリバン政権に関わり始めている。これらの国々は地域紛争が再燃し、過激なイデオロギーが広がるのを防ぐために、タリバンを緩衝材として利用したいのだ。
パキスタンは長年タリバンのパトロンだったが、自国に拠点を置く「パキスタン・タリバン運動」(TTP)とは以前から交戦状態にある。一方インドは、タリバンと付き合うことの戦略的利益と長期的コストをてんびんにかけ始めたところだ。
タリバンのような武装組織が政治的正統性を獲得することは、今や世界的な潮流になりつつある。例えばイスラエルのパレスチナ自治区ガザを揺るがすイスラム組織ハマスとイスラエル軍の戦争。発端は昨年10月にハマスが仕掛けた残酷な奇襲攻撃だったが、今ではハマスの言い分が国際社会で一定の支持を得ている。自分たちはテロ組織ではなく、パレスチナ解放を目指す革命的な勢力だというハマスのナラティブ(語り)が受け入れられたようだ。カタールに拠点を置くハマスの政治部門の指導部は、モスクワで起きたテロを非難する声明まで出した。
イスラム過激派のテロ組織が別のイスラム過激派組織が行った残虐なテロ行為を非難する──そんな茶番がまかり通るほど、今の世界は愚かしい状況に陥っているのだ。
ハマスの政治部門の指導者たちは支援拡大を求めてイランとロシアを訪問。中国は戦闘中止を呼びかけているが、いまだにハマスを名指しで非難することを控えている。中ロとイランは程度の差はあれ、アメリカの影響力と覇権を切り崩すためなら、ハマスのような武装組織とも喜んで手を組む、ということらしい。
9.11同時多発テロ後に生まれ、「グローバルな対テロ戦争」を支えてきたテロ対策の強固な国際協力の枠組みは今や急速に瓦解しつつある。ロシア政府は15年までアフガニスタンに軍事物資を運ぶNATOの輸送機が自国の領空を飛ぶことを許可していたが、今ではそんなことは考えられない。
ISのような組織にとって、これは願ってもない状況だ。覇権を争う国々の多くはISを安全保障上の脅威と見なし、軍事的解決が必要だと考えている。だが覇権争いの激化で世界は分断され、深い亀裂に引き裂かれている。その巨大な裂け目こそテロ組織がぬくぬく育つ温床となる。
「自由の戦士」として勢力拡大するテロリスト
こうした「新しい現実」の下では、テロとの戦いで一致団結した効果的な国際協力の枠組みなどとうてい生まれそうにない。
ではグローバルなテロとの戦いを誰が率いるのか。軍事的には、今でもアメリカは世界最強の部隊を対テロ戦争に送り出せる。19年には当時のISの指導者アブ・バクル・アル・バグダディを殺害。その後ISの指導者は顔も名前も表に出さない影の存在となったが、シリアで展開された米軍主導のIS撲滅作戦「生来の決意作戦」はその後も成果を上げてきたし、今も上げ続けている。
だが、その成果も限定的と言わざるを得ない。モスクワ近郊で起きたテロ後にISのアンサリ報道官が豪語したように、ISとその系列組織は世界各地に散らばり、影響力を広げ続けているからだ。
アフリカでは、ISと戦う地元の軍閥や自警団をロシアが支援。特にアメリカ、フランスなど西側の駐留軍が住民の反感を買っている国で影響力を広げようとしている。反政府勢力をつぶし、ISなどのテロ組織との戦いを支援することで、マリやブルキナファソなどの政権にテコ入れし、その見返りに自国の権益を拡大する──中ロは今、こうした試みに前のめりになっているようだ。
ロシアで起きたテロが示したのは、大国間の競争激化でテロ組織が活動しやすい状況が生まれ、イスラム過激派のテロが再び世界中で猛威を振るうリスクが高まっていることだ。
「ある人にとってのテロリストは、別の人にとっての自由の戦士だ」とはよく言われる言葉だが、その真偽は議論の余地がある。イスラム過激派のテロ組織はこの言葉を「勝利の方程式」として利用し、脅威と見なされる立場を脱して、国家と堂々と渡り合える存在になろうとしている。
From Foreign Policy Magazine
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