長男スビャトスラフちゃんを抱くアンナ・ザイツェバさん。製鉄所の工員だった夫のキリルさん(24)は開戦後、アゾフ兵士に志願。戦闘で大けがをし、松葉づえをついて投降した。最後に届いたメッセージは22年6月。「僕は大丈夫だ。すぐに君のところへ行きたい」=ウクライナ・ヤレムチェで2022年6月8日、写真家の尾崎孝史さん撮影
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 ウクライナ南東部にあるドネツク州の港湾都市マリウポリ。アゾフ海に面する人口約40万人の街は開戦直後、ロシア軍によって包囲された。

 産科医院や劇場などあらゆる施設が爆撃され、犠牲者は2万人超。そして、追い込まれた市民は街の中心にある製鉄所に立てこもった。その防衛にあたったのがウクライナ内務省傘下の戦闘部隊「アゾフ大隊」だ。

 2022年2月の開戦から3カ月後、後方支援も絶たれ、満身創痍(そうい)となったウクライナ軍は投降を決断。この時、捕虜となった兵士は2400人以上とされる。ロシア軍に徹底抗戦を挑んだアゾフ兵士の解放交渉は難航を極め、今も約900人が捕らわれの身になっていると言われている。

 「フリー・アゾフ!」(アゾフ兵士を解放せよ)。昨年12月から首都キーウ(キエフ)では、毎週末に街頭デモが行われている。運動の中心になっているのは、夫や息子が捕虜になっている家族だ。

 アゾフ大隊司令官の妻で、デモの中心メンバーの一人、カトリーナ・プロコペンコさん(29)はいう。「顔をさらすことでロシアのスパイに拉致されないかと不安になる。しかし、これ以上黙っているわけにはいかず、声をあげた」

 日照りの日も豪雨の日も、プラカードを持って集まる家族や支援者たち。デモの輪は全国の都市に広がった。その一方、海外に避難し、孤立する家族もいる。

 22年に取材したアンナ・ザイツェバさん(27)は生後8カ月の幼子を守るため、ドイツへ避難した。今、どんな思いでいるだろうか。8月初めに連絡を入れると、こんなメールが返ってきた。「夫のキリルは捕虜のままで、生きているかどうかわからない。私はもう、あきらめざるを得ません」

 一緒に避難した母にがんが見つかり、アンナさんは育児に追われながら闘病生活を支えているという。開戦から2年半。長引く戦争はウクライナの人々につらい選択を迫っている。【尾崎孝史(写真家)】

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