すさんだ環境で育つバンス少年(右)は祖母(中央)に助けられながら貧困を脱しようともがく LACEY TERRELL/NETFLIX

<米共和党の副大統領候補J・D・バンスの半生を描く『ヒルビリー・エレジー』はいい宣伝になるはずが、むしろ大統領選には「逆効果」になりそうだ──>

7月の米共和党全国大会でJ・D・バンス上院議員(40)がドナルド・トランプの副大統領候補に指名されてからというもの、アメリカの有権者は彼に興味津々だ。だが、国民の注目がバンスに有利に働いたとは言えない。

バンスはトランプが2度とも大統領選を制したオハイオ州から2022年の中間選挙で上院選に出馬し、当選。無敵のサクセスストーリーに後押しされて、右派のホープの地位を確立した。


ケンタッキー州の労働者の家系に生まれたバンスは、オハイオ州の小さな町でシングルマザーに育てられた。高校を卒業して海兵隊に入隊し、除隊後はオハイオ州立大学からエール大学法科大学院に進学。大手法律事務所勤務を経てベンチャー投資家として富を築いた。

少なくとも遠目には、根性と意志さえあれば誰でも成功できるというアメリカンドリームの体現者だ。

だがよく見ると、バンスの印象はさほどよくない。党大会の波に乗って絶好調と思いきや、その好感度は現職ではない歴代副大統領候補の中では1980年以降で最も低い。

連邦レベルの人工妊娠中絶の禁止を支持する強硬姿勢や「子なしの猫好き女性」を揶揄した過去の失言があだとなり、支持はさらに落ちている。

JD Vance says women who haven't given birth like Kamala Harris are "childless cat ladies who are miserable at their own lives," and have "no direct stake" in America. pic.twitter.com/3DJY3pQTGe

— Ron Filipkowski (@RonFilipkowski) July 22, 2024
「子なしの猫好き女性」を揶揄するJ・D・バンス


一方、その名を全米に知らしめた16年の自伝『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』(邦訳・光文社)はベストセラー1位に返り咲いた。自身が製作総指揮を務めた20年の映画『ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-』も、ネットフリックスでトップ10に入った。

自分の人生を望む形で有権者にアピールできるのだから、願ってもない話だ。だが自伝がトランプに勝利をもたらした白人労働者層の政治不信を理解するカギと評価された16年以後、風向きは変わった。

映画はトランプが再選に失敗した20年の大統領選直後に公開され、貧困ポルノとたたかれた。評論家のジャスティン・チャンはロサンゼルス・タイムズ紙で「見苦しいほど感傷的なクズ」と一蹴した。

学生時代の友人によれば、映画の酷評が「決定打」となり、バンスはかつて食事のマナーを知らない自分を笑ったリベラルなエリート層になじむ努力をやめたのだという。

ロン・ハワード監督の映画はJ・D少年(オーウェン・アスタロス)が自転車で川に泳ぎに行く場面で、のどかに幕を開ける。フィドルの音楽が流れ、ケンタッキーで過ごした夏は「子供時代の最高の思い出」だとバンスの語りが入る。

だが川に飛び込むとすぐに、地元の少年たちが彼を押さえ付けて水に沈める。

バンスは必死の努力でエリート層の仲間入りを果たした ANNA MONEYMAKER/GETTY IMAGES

故郷を捨てたかった若者

主な舞台のオハイオでも状況は厳しい。J・Dと姉を1人で育てる看護師の母ベブ(エイミー・アダムス)は、患者の鎮痛剤を盗んで解雇される。もともとベブは運転中にJ・Dの言動に腹を立てると車を暴走させ、死んでやると脅すような破滅型だ。

祖母(グレン・クローズ)が手を差し伸べるが、彼女も生活は苦しく、激しやすい性格だ。回想シーンでは夫の暴力に耐えかねた若き日の祖母が、泥酔した夫の服に火を付ける。バンスは副大統領候補の指名受諾演説で、祖母の死後、家から19丁の銃が発見された逸話を懐かしそうに披露した。


映画はバンス家のみに脚光を当てる。寂れた工業地帯の風景をただ映すだけで、ほかの人々が地域をどう思っているかは伝えない。

伝記物の役割とは、主人公を歴史的意義のある人物か驚くべき人生を歩んだ人物、あるいは観客に普段触れる機会のない世界を見せる人物として提示することだ。バンスは3番目のタイプで、地域社会の考察を織り交ぜた自伝もそのように構想されていた。

だが映画版のバンス家は地域社会から孤立している。友達もいなければ、教会の助けもない。全世界が彼らの敵だ。

映画はJ・D少年を特異なケースとして扱う。恵まれない環境の外に目を向け逃げるだけの先見性と意志を持つのは、彼一人。アダムスとクローズは貧困層の女性をグロテスクに誇張して演じ、哀れみは呼ぶが感情移入はできない。

バンスは演説で「私の故郷のような地域社会」の人々のために戦うと、決意を表明した。だがこの映画が描くのは、そうした人々を必死で切り捨てようとする若者の物語だ。

大学院生のJ・D(ガブリエル・バッソ)は将来を決めるインターンの面接を翌朝に控え、故郷に呼び戻される。母がヘロインを過剰摂取したのだ。J・Dは複数のクレジットカードを上限まで使って更生施設を確保するが、母は入所を拒む。

「できることは何でもする。でもここにはいられない」と、彼は言い渡す。

『ヒルビリー・エレジー』は故郷の人々ではなく今のバンスが属するエリート層のための作品。描かれる貧困は、裕福なリベラルが同類向けに演出したものだ。だからこそバンスは映画評論家らリベラル派の酷評にひどく傷つき、故郷に向けた軽蔑の目を彼らにも向けるようになった。

映画を見れば、最初から故郷に思い入れがなかったことはすぐ分かる。最後のナレーションで、バンスはつぶやく。「生まれは変えられないが、未来は自分で選べる」

要するに、今も貧困の中にいる人々と彼を隔てるのは、チャンスや運の有無でも政策でもなく本人の選択。自分は貧困を抜け出したのだから誰でもできるはずで、弁解は通用しない。それがバンスの言い分なのだ。

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『ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-』予告編 - Netflix

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