1

ラカイン州ミャウー(Mrauk-U)はミャンマーの中でも特に思い入れがある場所。本来は「地球の歩き方」にも紹介されている遺跡群が有名な観光地であったが、国軍と敵対するラカイン族の武装勢力アラカン軍の拠点となり2018年末辺りから内戦が激化。2019年2月に同国で起きた軍事クーデターによる情勢悪化もあり、現在は訪れること自体が困難となっている。

私は2015年10月にミャウー郊外の村で偶然にロヒンギャの人々に出逢い、コロナ禍で海外渡航が難しくなった2019年末にかけて7回ほどこの地域を訪れて彼らと交流してきた。村で撮らせてもらった写真を届けに行く中で顔見知りも増えていった。
(写真家・新畑克也)

ロヒンギャの子どもたち 2017年3月 撮影・新畑克也 この記事の写真

ミャウー市街の宿を出て観光地でもある遺跡群とは逆の方向へひたすら歩く。1時間ほど経つと気さくなロヒンギャの子どもたちに遭遇した。「アッサラーム アライクム(こんにちは)」。

しっかり者の娘と母親 2016年2月 撮影・新畑克也

行きつけのポンロー村に到着すると、まずはファショバヌの店に立ち寄り休憩。しっかり者の彼女は一人で店番をしていることが多いが、この日は母親も一緒だった。自転車で来る時はいつも店で預かってもらう。

2017年3月 撮影・新畑克也

ポンロー村には約1,300世帯、7,000人近くのロヒンギャが暮らす。ミャンマーの人々はロヒンギャを「ベンガル(バングラデシュ)人」だと差別するが、彼らの多くは写真のような東南アジア的な高床式住居に暮らしている。

カラフルな服を着こなすロヒンギャの女性
2016年2月 撮影・新畑克也

金曜日の昼下がりは男性たちはモスクへ出かけているため、女性たちが集まりゆったりした時間を過ごしていた。彼女たちの服装はミャンマー的な足首まである巻きスカート(ロンジー)。バングラデシュ女性の伝統衣装であるサロワカミューズなどは見かけない。目が覚めるようなカラフルな色味や柄の服を着こなしている人が多く、ロヒンギャ独自の美しい文化といえる。

彼らの笑顔にもっと出逢いたい 
2016年2月 撮影・新畑克也

「ロヒンギャの笑顔を初めて見ました」と写真展に来られた方に言われたことがある。ロヒンギャといえば「世界で最も迫害される少数民族」と呼ばれ、長年の迫害に苦しみ、村を焼かれ国を追われ家族を失った悲劇の民というイメージが付きまとう。実際に家族が世界各地で離れ離れになって暮らさなければならない状況の人も多い。

しかしロヒンギャの人たちほどタフでポジティブでユーモアがあり、柔軟性を持ちながらも独自の文化を大切にして、美意識が高くマナーがあり、他人の痛みを知り、寛大でおもてなし精神に満ちた人たちに私は会ったことがない。彼らの笑顔にもっと出逢いたい。

ミャンマーの伝統的化粧品タナカを塗ったロヒンギャの少女 
2017年1月 撮影・新畑克也

ミャンマーの伝統的な化粧品「タナカ」。その名の柑橘系の木を水で擦り、ペースト状にして顔に塗る不思議な文化。ロヒンギャの女性や子どもたちにとってもタナカは日々の暮らしに欠かせないアイテム。

腕組みの意味は日本とは違う 
2018年12月  撮影・新畑克也

もともとポンロー村には学校がなく、今にも崩れそうな小屋に溢れんばかりの子どもたちが交代制でマレーシアなどから援助された教科書などで勉強していたのだが、2017年にEUの支援で隣の村に念願の学校ができた。それにより「通学」する児童たちや寺子屋のような学習塾など、ミャンマーで見られる普通の光景がこの村でも見られるようになった。

こどもたちが腕組みをしているのは決して機嫌が悪いのではなく、相手に「リスペクト」を示すポーズ。これもミャンマーならではの文化である。

2017年1月  撮影・新畑克也

夕方になると共同の井戸に女性や子どもたちが水くみに集まってくる。アルミ製の水瓶はラカイン州中部や北部でよく見られる。

辛いがどれも美味しい 2017年1月 撮影・新畑克也

村で一番お世話になっている兄弟たちのお宅で夕ご飯をご馳走になった。彼らの主食は「米」だ。鶏やラムのカレー、野菜の和え物、ゆで卵のフライなど、どれも唐辛子が効いて辛いのだが、とても美味しい。彼らの兄弟のひとりは群馬県館林市に住んでいる。彼らのおかげで日本のロヒンギャコミュニティとつながることができた。

2017年3月 撮影・新畑克也

村の朝市でロヒンギャ族とラカイン族の男たちが向き合っていた。ラカイン州で敵対するイメージのある両者だが、実際彼らは助け合って生きている。互いに仕入れを手伝ったり、ラカインの人が村でお茶や食事をしている場面も見かけ、たびたび胸を打たれた。多くのミャンマー人はラカイン州を訪れたこともなければロヒンギャに会ったこともないだろうに、政府や軍、武装組織や宗教指導者などのプロパガンダでロヒンギャに対するヘイトが渦巻いている。実際に現地に足を運んで初めて学ぶことは多い。

2017年1月  撮影・新畑克也

村の子どもたちはいつもエネルギーに満ち溢れている。こちらは近くの交番から警察官が取り締まりに来ないかヒヤヒヤものなのだが、彼らはおかまいなし。まさか40歳にもなって大勢の子どもたちに全力で追いかけ回されるとは夢にも思っていなかった。ロヒンギャにとって子どもたちの存在は数少ない「希望」。彼らに明るい未来が訪れて欲しいと心から願っている。

禁をやぶって見送ってくれるロヒンギャ 2017年1月  撮影・新畑克也

村を訪れるたびに群馬県館林のロヒンギャコミュニティで学んだロヒンギャ語のフレーズを披露したりして、彼らとの距離がぐっと縮まっていった。

すっかり日が暮れてしまい友人たちが宿のあるミャウーへ戻る途中まで見送ってくれた。ロヒンギャは村を出る事を許されていないため私も内心穏やかではない。「もう大丈夫。一人で帰れるよ!」と言っても彼らは笑顔で付いてくる。村を出て結構な距離だったと思う。ようやく足を止めて寂しそうに村へ戻って行くその背中を見て、私は彼らに気づかれないようにむせび泣いた。なんて理不尽なのかと。

この記事の写真を見る
  • 新畑克也

    1979年広島県呉市生まれ。東京都在住。2010年に初めて訪れたミャンマーに魅了され、同国へ幾度も通い、旅先での人々との出逢いを写真に収め始める。 2015年より西部ラカイン州でロヒンギャの村を訪れたことをきっかけにロヒンギャやラカインの問題に関心を持つ。以降は主にラカイン州やバングラデシュの集落、難民キャンプで撮影を続け、日本最大のロヒンギャコミュニティの在る群馬県館林市では定期的に写真展を開催している。

・【大規模迫害から7年】「あの子たちは元気かな」 ロヒンギャを撮り続ける新畑克也氏 クーデター後のミャンマー 世界に黙殺される悲劇・【大規模迫害から7年】長期の隔離で「表情がない…」 ロヒンギャを撮り続ける新畑克也氏 クーデター後のミャンマー 世界に黙殺される悲劇・【独自】長井健司さん最後の映像ノーカット“5分4秒”から読み解く状況急転・日本人に初「むち打ち刑」20回 強姦罪で判決 シンガポール…禁錮17年6カ月に加え・ハワイに日本人女性“入国拒否”急増…“海外出稼ぎ”増加 業者を直撃

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。