4

8月24日で、ロシアがウクライナへ侵攻を開始して2年半が経過する。
このタイミングでロシアは第2次世界大戦後、初めてとなる外国軍によるロシア領土への本格的な侵攻を受けている。

にもかかわらず「国民の安全を守る強いリーダー」を自負するプーチン大統領は、ウクライナの攻撃について不自然なほど言及しない。
そして、ロシア国内でも避難者の状況を伝える報道は極端に少ない。

ウクライナが越境攻撃を加えているロシア西部クルスク州の国境地帯から300kmほど北東に位置するオリョール市。中心地の建物に支援物資が集められている

ここに来れば、避難者の現状が何かわかるのではないか。
ウクライナが攻撃を始めて1週間後の8月13日。その現場を訪れた。

現場を監督している女性は当初、取材を許可してくれた。しかしほんの数分後、私たちは同じ女性により建物から追い出された。

「撮影をやめてください。今すぐに出て行って下さい!」

なぜ、避難者の情報は隠されるのか。
プーチン大統領が沈黙する理由とは何なのか。

(ANN取材団)

■ウクライナによる攻撃開始の一報は“従軍ブロガー”から

破壊されたレーニン像(クルスク州スジャ) この記事の写真は12枚


ウクライナによるロシア領への直接攻撃を最初に伝えたのは、ウクライナ侵攻を支持し、ロシア軍に同行取材を繰り返している「Zブロガー」と呼ばれる人たちだった。

8月6日の早朝、彼らはウクライナ側から重装備の武装集団が国境を越えてロシアに侵入したと伝えた。彼らの情報によれば、かなり大規模な攻撃のようだ。

しかし直後の同日午前10時、クレムリンに近いテレグラムチャンネル「マッシュ」が、その報道を打ち消す形で、攻撃を仕掛けてきた約100人の武装集団をロシア側が撃退したと報じた。ロシア国防省やクルスク州のスミルノフ知事代行は攻撃を受けたことは認めたものの「ロシアは国境を突破させなかった」と発表した。

しかし、事実は違った。「Zブロガー」たちのほうがより正確だった。
「Zブロガー」らは「撃退した」とするロシア国防省の発表は虚偽だと訴え、大規模なウクライナ軍に国境を越えられたロシア軍の「失態」を批判し続けた。

■SNSで拡散したクルスク住民の怒り

クルスクの住民たちの訴えがSNSで拡散された


秘密裏に攻撃を開始したウクライナ側も情報を隠していたため、実際に国境地帯で何が起こっているのかを正確に知ることはしばらくできなかった。

ロシア国内でこの事態に対する認識が大きく変わったのは攻撃開始から2日たった8月8日だ。
クルスクの住民が怒りを爆発させた動画がSNSに投稿され、拡散したのだ。

「ヴラジーミル・ヴラジーミロヴィッチ!(=プーチン大統領!)情報を担当する指導者たちに真実を示すよう、本当の行動を示すよう伝えてください。なぜならこれは嘘だからです。嘘です。嘘なのです。」

クルスク州のスジャンスキー地区の住民が集まってプーチン大統領宛てのビデオメッセージを投稿したのだ。彼らは家を失い銃撃の中を逃げてきたといい、「状況は安定している」という国防省の公式声明は真っ赤な嘘であると主張する。地方自治体はほとんど機能しておらず、国境地域からの避難誘導も行われていないと切実に訴える。

当局から弾圧される危険を冒してまで「当局の発表は、嘘だ、嘘だ、嘘だ」と何十人もが顔を隠さずに声を上げる動画は、ロシア中に強いインパクトを与えた。

次のページは

■避難者への補償は1万6000円 「侵攻」は口にせず

■避難者への補償は1万6000円 「侵攻」は口にせず

8日、プーチン大統領は地元首長と対談後1万ルーブルの補償を提示した(大統領府HPから)

住民らのビデオが拡散した8日午後、プーチン大統領は地元知事と会合した。プーチン大統領が口にしたのは避難者への補償、提示したのはわずか1万ルーブル(約1万6000円)だった。まるで避難者を馬鹿にしたような額で、逆に避難者たちの怒りを買う恐れもある。にもかかわらずプーチン大統領がこのような支援を提示したのは、事態の重大さを隠す狙いがあったと考えられる。

プーチン大統領は今回の越境攻撃について、「戦争」や「侵攻」といった言葉を使わず、「挑発行為」だと呼び続けている。クルスクで起こっていることは、1万ルーブルの補償でまかなえる程度でしかない。都市から離れた「国境地域」で起こっている自然災害のようなもので、多くのロシア人には関係ないということを示したいのだろう。

プーチン大統領は「ロシア人の安全を守るため」だと主張して「特別軍事作戦(=ウクライナへの全面侵攻)」を始めた。2年半後に外国の軍隊によって逆にロシア人の生命が脅かされている事態を招いたことを認めてはならないのだ。

■制限される避難の実態めぐる情報

12日、プーチン大統領は「国境地域」についての会議を開催した(大統領府HPから)


しかし、事態はロシアにとって悪化し続け、ウクライナ軍は支配地域を広げていった。8月12日、プーチン大統領は4日ぶりに沈黙を破り、軍や自治体関係者との会合を開いた。

しかし、ここでもプーチン大統領はウクライナ軍の進軍状況について話そうとするクルスク州のスミルノフ知事代行の発言を遮った。ウクライナ軍が優勢に攻めているといった状況を報告されることを懸念したのだろう。

「その点は軍が報告するでしょう。あなたは支援についてだけ話してください」

プーチン大統領の指示に従って話したスミルノフ氏が明らかにした被害の数字だけでも、十分に衝撃的だった。

12日に開催された会議(大統領府HPから)

12日の時点で避難区域に指定された地域には18万人が住んでいて、そのうち12万1000人がすでに避難していた。州当局は2000人の消息が確認できていないという。ウクライナの攻撃は続き、避難対象地域は広がっている。

大勢の避難者が出ているにもかかわらず、プーチン大統領はロシア領内に侵入したウクライナ軍を撃退するよう軍に命じるだけで、避難者への追加の具体的な支援策などは打ち出さなかった。

そしてプーチン大統領はこの日以来、クルスク州へのウクライナ軍の攻撃についてコメントすることを止めた。嵐が過ぎ去るのを待つように、この「国境地帯」での戦闘がロシア人に忘れ去られるのを待っているのかもしれない。

次のページは

■支援物資集積所に周辺には複数の警官

■支援物資集積所に周辺には複数の警官

オリョール州へ。この道はモスクワからクルスクを経てウクライナまで続く


冒頭で触れたオリョール州オリョール市は、首都モスクワの360km南にある。ウクライナ軍が侵攻しているクルスク州に隣接しているこの州にも多くの避難者がやってきている。市の中心地には、市民らが避難者への支援物資を持ち寄る集積所が設置されている。

オリョール市の支援物資の集積所 「支援物資を持ってきてくれたのでしょうか。それとも、ここに集められたものを避難者に届けたいのでしょうか」

現場を仕切る女性は、あちこちに指示を出しながら、忙しそうにしている。自分たちはジャーナリストであり、取材をすることは可能かどうか尋ねると、女性は快く撮影を許可してくれた。

最初は警戒する様子はなく、好意的に「どこでも自由に撮影してください」と話していた。

しかし、念のため上司に確認するので身分証の写真を撮影させてほしいといわれた数分後、彼女の対応は一変する。私たちは理由も聞かされないまま建物から追い出されてしまった。

入る際には気づかなかったが、建物の周辺には複数の警察官が警戒にあたっていた。

■避難者が語った戦地「商品はない」

クルスクからの避難者は寝具などを受け取っていた(オリョール市内で)


建物から少し離れたところで、支援物資を取りに来たクルスク州からの避難者の女性に匿名で話を聞くことができた。女性は、受け取った寝具や衣類などを車に詰め込みながらこう言った。

「家の近くで銃声が聞こえるわけではありません。しかし、グラートの音がするんです」

グラートとはロケット砲を積んだ軍事車両のことだ。住宅のすぐ近くでロケット砲が発射されているという。

自走多連装ロケット砲『グラート』(ロシア国防省のサイトから) 「店に商品はなく、売り切れです。クレジットカードは使えません。仕事はなく、現金を持っている人もほとんどいません」

攻撃が迫る街は、ミサイルで破壊されなくとも、社会的な機能をすでに失っている。だから女性らは住み慣れた家を離れざるを得なかったと弱々しく語った。

次のページは

■首都モスクワも「無関心ではいられない」

■首都モスクワも「無関心ではいられない」

戦闘が行われている国境地帯はインターネットの接続も制限されているようで、現地住民の生の声が拡散されることもほとんどなくなってきた。

国営放送が報じるのは、行政の声が中心で、避難者の苦境を伝えるリポートはわずかだ。それもウクライナ軍がいかにひどい仕打ちをしているかが強調されている。

しかし、情報がいくら制限されても、避難者への関心を失わないロシア人も少なくない。

ロシアの野党グループは即座に避難者支援を訴え、行政とは別に支援物資の取りまとめを始めた。8月15日、モスクワ市内に野党グループが構えた支援物資センターを訪ねると、多くの物資が持ち込まれていた。

モスクワにも支援物資が多く届けられていた

担当者のポリーナさんによると、1日に20人ほどが寝具や石鹸、歯ブラシ、子ども用の保存食、おもちゃなどを持ち寄ってくれるという。現地では行政も避難用のテントを設置するなど、さまざまな支援をしているが、官僚主義的で避難者の必要なものがすぐに手に入るわけではないという。

野党グループは、現地のボランティアと情報交換しながら必要な物資を迅速に集め、送るように努めているという。

支援物資を届けに来たダニールさんはこう語った。

「私は苦境に陥った人々の運命に無関心ではいられません。ウクライナ人もロシア人も苦しんでいます。(侵攻が始まって)2年、3年目ですが、事態はひどくなっています。私の助けが何らかの形で役立つことを願っています。私たち一人ひとりが、この問題に対して何らかの貢献をしなければなりません」

■ウクライナ侵攻に反対でも「支援を止めない」

同じく支援物資を届けに来たアシャさんは避難者が、ウクライナへの憎悪を強めているかもしれないという点も気にしている。

「現地に残され、見捨てられた人の中には、おそらく私とはまったく異なる考えを持つ人たちがいることは十分に理解しています。しかし私は、そのことで彼らへの支援の手を止めるべきではないと信じています」

プーチン政権は、ウクライナによるクルスク州への攻撃を、ロシア人がウクライナや西側諸国への憎しみをより強めるために利用する。プーチン大統領は、限られたコメントの中で、今回のクルスク州への攻撃により志願兵の数が増えたと主張している。

砲撃されたクルスク州のアパート


もともとは、ロシアがウクライナへの侵攻を始めたことが、今回の事態を招いているのだが、国営メディアなどではそうした経緯は語られない。西側の支援をうけたウクライナ軍が国境地域を不当に攻撃したと報じられる。こうした報道に接していれば、クルスク州で家を失った住民が、西側への怒りを増大させても不思議ではない。

アシャさんは、当初からウクライナへの侵攻に反対しているというが、立場を超えて苦境に陥っている避難者に支援するべきだと考え行動を起こしている。それは、プーチン政権が1万ルーブルの補償で、実態を矮小化させようとしているのとは正反対の態度だ。

アシャさんのような考え方で、人々の助け合いの輪が広がっていくことが、プーチン政権下のロシア社会を徐々に変えていくのかもしれない。

情報が制限されているロシア国内では、13万人をこえる避難者がいることや、ロシア軍が全長46kmにおよぶ塹壕を掘削していて土地の形が変わってしまっていることなどは、まだ強くは意識されていない。

しかし、ウクライナによるロシア領の一部支配が長期化すれば状況は変わってくるだろう。

ロシアでは9月に統一地方選挙が行われる。ウクライナが支配している地域での投票は非現実的だ。
ロシア人はあらためて領土の一部が占領されている現実と向き合うことになる。

この記事の写真を見る(12枚)
・“反プーチン”候補が躍進 支持者「戦争に疲れた」…ロシアで高まる「反戦」機運(2)・反乱から1年 いまだに神格化されるプリゴジン氏―ロシアの極右勢力の不満・ウクライナの汚職まみれも原因か 欧米の支援が滞る理由とは…双方の不信がわきあがる・処理水批判の中国で“ブーメラン”魚売れず関係者悲鳴 日本は販路開拓で“脱中国”へ・ハワイに日本人女性“入国拒否”急増…“海外出稼ぎ”増加 業者を直撃【詳細版】

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。