5日に辞任したバングラデシュのシェイク・ハシナ首相(76)は、パキスタンからの独立運動を率い、「建国の英雄」とたたえられたムジブル・ラーマン初代大統領を父に持つ。しかし、首都ダッカの中心部を埋めた学生らのデモ隊は、ラーマン氏の像に登って破壊しようとし、インドメディアは驚きを持って伝えた。波乱に満ちたハシナ氏の半生を振り返る。
ハシナ氏は1947年9月、ラーマン氏の長女として生まれた。ラーマン氏は75年1月に大統領に就任したが、8月の軍事クーデターで妻や息子とともに暗殺された。当時の西ドイツにいたハシナ氏と妹のレハナ氏は生き延び、隣国インドや英国で亡命生活を送った。
ハシナ氏は81年、ラーマン氏が創設したアワミ連盟の党首に選出されて帰国。96年の総選挙で過半数を獲得し、ハシナ氏は首相に就任した。アワミ連盟は2001年の総選挙で野党バングラデシュ民族主義党(BNP)に敗れたが、08年の総選挙で再び第1党となり、ハシナ氏は連続4期にわたって首相を務めてきた。
日本と友好的な関係を築いてきたことでも知られる。ハシナ氏は14年に来日した際の講演で、独立に伴う国旗制定時にラーマン氏が「日本に魅せられ、日の丸のデザインを取り入れた」と語り、日本への親近感をアピールした。バングラの国旗は、豊かな自然を表す緑の地に、独立のために流した血を示す赤い丸が描かれている。
また、ハシナ政権下のバングラは高い経済成長を実現した。バングラは若者を中心とする低価格の「ファストファッション」の縫製がさかんで、世界有数の縫製品輸出国でもある。かつてはアジアの最貧国の一つだったが、26年には国連が分類する「後発開発途上国」から脱する見込みだ。
その一方で、経済格差の拡大や政権の強権化に対する反発も高まっていた。野党BNPは政治家や支持者ら2万人以上が当局に拘束されたとして、今年1月の総選挙をボイコットしていた。【ニューデリー川上珠実】
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