世界遺産委員会は7月27日、“佐渡島の金山”について世界遺産に登録することを決定。悲願達成の裏には、30年近くに及び登録に向け活動してきた人々の努力がありました。

登録から一夜明けた28日、関係者が活動の先頭に立ってきた先人の墓前で手を合わせました。

28日、佐渡を世界遺産にする会のメンバーなどが手を合わせたのは、2018年に亡くなった歴史学者の田中圭一さんの墓です。

佐渡市出身の田中さんは佐渡市の高校で教師を務めたあと、筑波大学の教授となり、佐渡金銀山の研究に取り組みました。

会の前身である「世界文化遺産を考える会」を1997年に立ち上げたメンバーの一人として佐渡金山の価値を広めようと、早くから活動の最前線に立ってきました。

【佐渡を世界遺産にする会 中野洸 会長】
「必ずユネスコに登録させて、その報告にあがりますと(田中さんの葬儀で)弔辞で言わせていただいて、それが実現できたということで、いま本当にホッとしている」

世界遺産登録が実現したいま、田中さんがどんな言葉をがけているか、問われた中野洸会長は…

【佐渡を世界遺産にする会 中野洸 会長】
「『洸ちゃん本当によかったなと…』そう思っている」

先人の思いをつなぐ人はほかにも。

多くの人が歓喜に沸いたパブリックビューイングの会場の事前準備に汗を流していた佐渡市世界遺産推進課の市川守さんです。

亡くなった父親も佐渡市の職員で、世界遺産登録に力を尽くしていたと言います。

登録決定後街が、お祭りムードに包まれる中…

【佐渡を世界遺産にする会 中野洸 会長】
Q.お父さんも色々ご苦労なさった。浮かんできた?
「そうですね。うれしい」

亡き父の意思を実現させたいと、自ら世界遺産推進課を志望した市川さん。涙をこらえることはできませんでした。

世界遺産登録は、多くの先人たちの思いが成就した瞬間でもありました。

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