SNSで助けを求めたボグダン・イェルモヒンさん

ウクライナからロシアに連れて行かれた青年は昨年11月、SNSを通じてゼレンスキー大統領に助けを求めました。青年は当時17歳。ロシアの兵役対象となる18歳を目前にして、身の危険を感じながらもウクライナへの帰国に向けて大きな賭けに出たのです。投稿は大きな反響を呼び、事態は大きく動き出しました。

「私はボグダン・イェルモヒンです。私はいまロシアにいます。ゼレンスキー大統領、私が故郷に帰れるように助けてください」

わずか10秒ほどのメッセージ。ビデオ最後の一瞬の笑顔は、自身の不安をかき消そうとしているかのようでした。

◆理解に苦しむロシア国営テレビのインタビュー 刻々と迫る兵役

ボグダンさんは早くに両親を亡くした孤児です。16歳だった2022年5月、住んでいた南東部マリウポリからロシア軍によってロシア占領下の東部ドネツクに送られ、その後“リハビリ”名目でモスクワ近郊の施設に連れて行かれました。そしてロシアで養子になり、パスポートを渡されました。

ボグダンさんに渡されたロシアのパスポート

JNNパリ支局がボグダンさんの存在を知ったのは、2023年5月のこと。マリウポリからロシアに連れて行かれた31人の子供のリストを年始に入手し、子供たちのその後を追っていました。すると、インターネット上でボグダンさんがヒットしたのでした。

ボグダンさんはロシア国営テレビに取材され、ニュース番組で紹介されていました。
ただその内容は、私たちの想像とは違うものでした。

映像を見るボグダンさん

●ロシア国営テレビ・ナレーション
「ウクライナによる連れ去り計画は失敗しました」
「まず印象に残るのは、ボグダンさんと新しい家族がいかに愛し合っているのかということです」

この放送の前、ボグダンさんはベラルーシとの国境付近でウクライナに戻ろうとしたところをロシアの警察に捕らえられました。ロシア政府は「ウクライナの工作員がボグダンさんを脅して、ウクライナに連れ戻そうとしていた」と公表し、ボグダンさんを“保護した”と主張していました。

里親のもとに戻されたボグダンさんは国営テレビの取材を受けます。里親の家で他の子供たちと一緒に過ごす姿が全国放送され、ボグダンさんはロシア政府の主張と同じ話をインタビューで答えていたのです。

一方、ウクライナの弁護士に取材をすると、弁護士はまったく異なる説明をしていました。
ボグダンさんは一刻も早い帰国を希望していて、常に連絡を取っているということでした。国営テレビの取材の内容は事実ではないとも話しました。

私たちは、真相を知りたいと思いつつもボグダンさんの身の安全を第一に考え、弁護士と連絡を取り合いながら、取材と報道のタイミングをはかっていました。

その間に兵役対象である18歳の誕生日が近づき、ボグダンさんにはロシア軍への登録を求める書類がロシア当局から届きました。弁護士を含むウクライナ側の関係者の緊張感はピークに達していました。

◆覚悟の投稿「助けてください」 ロシア政府の突然の変化

18歳の誕生日まであと10日と迫った2023年11月9日、ボグダンさんと弁護士は大きな勝負に打って出ました。ボグダンさんがゼレンスキー大統領に助けを求める動画を自撮りし、弁護士がSNSに投稿したのです。また弁護士自身もボグダンさん救出への協力を求める動画を撮影し、国際世論に訴えました。地元メディアや私たちを含む海外メディアは次々と報道し、同時にロシア政府に今後の対応について質問を投げかけました。

ロシアでこの問題を担当するマリヤ・リボワベロワ大統領全権代表は、一貫してロシアによる子供連れ去りを否定しています。ボグダンさんについても「彼が『ウクライナに戻りたくありません』とする文書にサインをしている」と主張していました。

しかし、ボグダンさんの動画が大々的に報じられると、ロシア政府は急遽ボグダンさんの帰国を認めました。リボワベロワ氏は「ボグダンさんの考えが変わった」と説明したのです。

実はボグダンさんはロシア側の書類にサインをさせられた日、ウクライナの弁護士宛に「リボワベロワのオフィスで書かされた文書は私の意思ではありません」という文書を送っていました。

ボグダンさんが帰国を果たしたのは、2023年11月19日。ロシアの兵役対象となる18歳の誕生日でした。ロシアに連れて行かれて1年半、まさにギリギリのタイミングでの帰国でした。

帰国したときの写真(ロシアのタチアナ・モスカルコワ人権委員テレグラムより)

◆JNNのインタビューで語った、ロシアの嘘と脅迫

2024年1月、ボグダンさんは私たちの単独インタビューに応じてくれました。そこで語られたのは、ロシア側の子供たちへの脅しや洗脳、そして数多くのウソでした。

(記者)
ロシアで過ごした1年半の間、どんなことを考えていましたか?

(ボグダンさん)
侵略者が私の家に来て私の街を破壊し、大勢の人を殺害しました。私は連れ去られ、ロシアのパスポートを渡されました。ロシアで暮らしたいなんて全く思っていませんでした。一刻も早く離れたかった。うんざりする日々でした。毎日を無かったことにして記憶の中から消そうとしていました。

(記者)
ウクライナに戻ればどんなことが待ち受けていると言われていましたか?

(ボグダンさん)
子どもたちは臓器を売られるぞ、大人は動員されて戦地に送られるぞ、と脅されていました。彼らはウクライナの子どもたちをロシア兵として動員するつもりです。世界に向けた報道には最適ですよね。“ウクライナの子どもがロシアに戻り、ウクライナを憎むあまり闘うことを決めた”なんて。

(記者)
あなたはウクライナに逃げようとして失敗しました。その時の状況とその後のロシア側とのやりとりを教えてください。

(ボグダンさん)
詳しいことは言えませんが、私は国境でロシア当局に拘束されました。彼らはあらゆる手段を使って私が逃げ出すのを阻止しました。私は犯罪者のような扱いを受けました。
脱出に2度失敗したあと、リボワベロワ氏のオフィスで「私はウクライナに戻りたくありません」という文書にサインをさせられました。馬鹿げていますよね。でも実際に起きたことなんです。署名をしましたが、逃げ道はありました。同じ日にウクライナの弁護士宛にも文書を送ったんです。「リボワベロワのオフィスで書かされた文書は私の意思ではありません」と。

◆ロシアのプロパガンダに利用され「最悪の気分だった」 

(記者)
ロシア国営テレビのニュース映像を一緒に見てください。ロシアの里親の家で撮影されたものですが、撮影の経緯を教えてください。

(ボグダンさん)
この映像は何度も見ました。私の表情を見ても取材されたくないのが明らかですよね。これはロシアのプロパガンダです。逃げ出そうとした罰として協力させられました。そうするしかなかったんです。それ以上、詳しいことは言えません。

(記者)
どんな気持ちで取材を受けていたのですか?

(ボグダンさん)
ウクライナや世界中の人たちが馬鹿げた話を信じるのではないかと思って最悪の気分でした。

(記者)
プーチン大統領やマリヤ・リボワベロワ大統領全権代表に国際刑事裁判所から逮捕状が出ています。彼らの責任についてどう思っていますか?

(ボグダンさん)
戦争や連れ去りに関与している全ての人が逮捕されるべきだと思います。

(記者)
ウクライナに戻り、今後したいこと。将来に向けて願うことはなんですか?

(ボグダンさん)
ロシアに連れ去られた全ての子どもたちを連れ戻したいです。その上で彼らがちゃんとリハビリやカウンセリングを受けられるようにする。それが私の夢です。これは私たちの未来のため、子どもたち一人一人のための闘いなんです。子どもたちが何を感じているのか、どうすれば乗り越えられるのか、私以上に知っている人はいません。私が体験したからです。日本にも手伝って欲しいと思います。

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