英国議会を見つめるチャーチルの銅像=ロンドンで2023年3月20日、篠田航一撮影

 英国で7月4日、下院(定数650)の総選挙が行われ、スターマー党首率いる労働党の14年ぶりの政権奪還が確実視されている。保守、労働両党の2大政党制が機能し続ける英国で、人々はどのような指導者を選んできたのか。第二次世界大戦後の両党の攻防を振り返る。(敬称略)

 英国の戦後政治史は、大戦を勝利に導いた保守党のチャーチルの「敗北」から始まる。日本に原爆が投下される直前の1945年7月、総選挙で保守党は大敗した。戦争で疲弊する中、有権者はチャーチルの指導力をたたえつつ、「福祉の充実」を掲げた労働党に戦後の国家再建を託したのだ。

英国の歴代首相

 チャーチルを破った労働党のアトリー(在任45~51年)は、誰もが原則無料で診察を受けられる国営の「国民医療サービス」(NHS)を発足させ、「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる医療制度を整えた。だがチャーチルは51年の総選挙に勝利して再び首相に復帰。第2次政権(51~55年)を樹立した。

 東西冷戦期の50~70年代も両党の攻防は続いた。そして「鉄の女」と呼ばれる保守党のサッチャー(在任79~90年)が登場する。

 上流階級出身が多い保守党の中で、雑貨店主の娘として生まれたサッチャーは「たたき上げ」の胆力もあり、長期政権を築いた。対外的にはアルゼンチンとのフォークランド紛争(82年)に勝利し、反共を掲げた。一方、国有企業の民営化など自由競争を重視した結果、貧富の差を拡大させたとの批判も根強い。

英国会議事堂=ロンドンで2024年4月4日、篠田航一撮影

 やがて保守党のメージャー(在任90~97年)を経て、労働党は18年ぶりにブレア(在任97~2007年)が政権を奪還する。

 ブレアは、従来の左派の社会主義的路線でもなく、サッチャー流の新自由主義でもない「第3の道」を提唱。経済は好調で、北アイルランド紛争の解決にも尽力し、当初は高い人気を誇った。だが03年のイラク戦争参戦を機に支持率が低下。そして労働党は、ブレアの後任のブラウン(在任07~10年)を最後に政権から遠ざかる。

 政権を奪還した保守党は、キャメロン(在任10~16年、23年から外相)の第1次政権で中道左派・自由民主党と連立を組んだ。やがて欧州連合(EU)からの離脱(ブレグジット)の議論も本格化し、対応は後任のメイ(在任16~19年)に引き継がれる。

 メイの後任のジョンソン(在任19~22年)は強い指導力でEU離脱を実現させたが、新型コロナウイルス流行中のパーティー参加問題などの不祥事で辞任に追い込まれた。続くトラス(在任22年9~10月)は急激な減税案が市場の混乱を招き、わずか1カ月半で辞任する。22年10月から首相を務めるスナクは両親がインド系移民で、英史上初のアジア系の首相となった。

英国議会を見つめるチャーチルの銅像=ロンドンで2023年3月20日、篠田航一撮影

 英調査会社ユーガブの19年4月の世論調査では、国民が思う「最も偉大な戦後の首相」は1位がサッチャーで、2位チャーチル、3位ブレアの順だった。多くの世論調査で結果は似ており、ベスト3にアトリーが入る場合もある。

 16年に退任したキャメロン以降、スナクはこの8年間で5人目の首相となる。安定感の欠如も保守党離れの一因となっており、今回の総選挙で労働党は「政権の安定」を訴えている。【ロンドン篠田航一】

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