米西部アリゾナ州の州最高裁が中絶禁止法の復活を認めた後、記者会見するエバ・バーチ州上院議員(右)=州都フェニックスで2024年4月9日、USAトゥデー・ロイター

 11月の米大統領選の接戦州である西部アリゾナ州で人工妊娠中絶を巡るせめぎ合いが激しくなっている。民主党のジョー・バイデン大統領(81)は中絶の権利擁護を掲げて支持拡大を図り、共和党のドナルド・トランプ前大統領(78)は争点化を避けようとしている。攻防に拍車をかけているのが、西部開拓時代の160年前に制定された全面的な中絶禁止法の「復活」だ。【アリゾナ州フェニックスで秋山信一】

 中絶を選ぶ権利は米世論を二分する問題です。米大統領選に向け、160年前の全面禁止法に揺れるアリゾナ州の動きを報告します。
 1回目 「中絶を決めた」と告白した議員
 2回目 逃げるトランプ氏と追うバイデン氏
 3回目 反対派が仕掛ける〝偽クリニック〟

議場でこみ上げた感情

 州都フェニックスにある州議会で3月18日、民主党のエバ・バーチ州上院議員(44)が散会直前に発言を求めた。「数週間前、妊娠が判明しました。ずっと望んでいた妊娠でした」。思わぬ告白に議場は静まりかえった。「でも検査を重ねた結果、死産になることが分かり、中絶することを決めました」。時折、言葉を区切り、こみ上げる感情をのみ込んだ。

 連邦最高裁が2022年6月に憲法判断を49年ぶりに覆し、州による中絶禁止を認めた後、同州では妊娠15週より後の中絶を禁止する州法が施行された。その上で、1864年に制定された全面的な中絶禁止法の復活の是非が法廷で争われ、州最高裁が近く判断することになっていた。

連邦最高裁の近くで口論をする中絶容認派(右)と中絶反対派=米ワシントンで2022年6月13日、ロイター

 この法律は中絶を受精時点から禁止し、違反すれば医師に最高で禁錮5年の罰則がある。レイプや近親相姦(そうかん)の被害者も例外でない。「私が中絶を控えるタイミングで話せば、この法律の復活がどんな意味を持つのか、有権者に実感してもらえると思った」。中絶容認派のバーチ氏はそう振り返る。

 議場では自らの来歴も語った。上級看護師として産婦人科の現場を経験してきた。妊娠や出産が難しい体質で、30歳ごろから流産を何度か経験した。2人の子供がいるが、5年前に出会った現在の夫との間に子供を望み、不妊治療を続けた結果の妊娠だった。

 2年前にも一度妊娠したが「死産になる」と診断され、中絶を選択した。当時は連邦最高裁が憲法判断を覆す前だった。だが、今回は妊娠15週までに判断できなければ州内で中絶はできなくなるところだった。まして中絶禁止法が復活すれば、はじめから中絶を選ぶこともできなくなる。それはバーチ氏だけではなく、全ての女性の問題だった。

ただ「愛し、産め」は偽善

 前回も今回も中絶を選んだのは赤ん坊が生きられないからだ。

 それなのに中絶前のカウンセリングでは「(出産して)養子縁組や里親制度に預けるという選択もある」と医師に言われた。死産になると診断した医師がなぜそんなことを言うのか。医師は「州法で中絶前に言わなければならないと決まっている」と言った。その後も24時間を経なければ中絶手術は受けられなかった。

州議会庁舎で取材に応じるエバ・バーチ州上院議員=米西部アリゾナ州フェニックスで2024年5月22日、秋山信一撮影

 養子縁組の説明や24時間の待機時間は、中絶反対派の支援を受ける共和党が10年代に州法で義務化したルールだった。経済的な理由などから中絶を望む妊婦を翻意させるのが狙いだが、バーチ氏は「根底にあるのは、中絶を選ぶのは『無責任で自己中心的な人だ』という不正確な先入観だ」と批判する。

 「弱い立場の人が出産しても社会的に支援する環境ができていない。貧困の中で育ち、教育や医療を十分受けられない人たちへの対策もせず、ただ『赤ん坊を愛し、産むべきだ』というのは偽善だ」

 バーチ氏の願いは司法には届かなかった。中絶手術を受けた約半月後の4月9日、州最高裁は中絶禁止法の復活を認めた。州議会は中絶禁止法を廃止する法案を可決したが、すぐには適用されず、9月下旬には一時的に全面禁止になる見通しだ。中絶反対派の「勝利」とも言える結果。ただ、窮地に立たされたのは意外な人物だった。

米国の人工妊娠中絶

 人工妊娠中絶の問題は、米国では党派色を帯びる。共和党を支持する保守派の一部は宗教・倫理上の理由から「中絶の全面禁止」を求める。一方、世論調査で民主党支持者は約4割が中絶は全て合法だと答え、女性の人権や自由を重視して「中絶を選ぶ権利の保障」を主張する。世論の3分の2は「一定の制約」を支持しており、妊娠のどの時期までの中絶を認めるかを巡る論争が続いている。

 米連邦最高裁は1973年、中絶を選ぶ権利は憲法で保障されているとの判断を示し、全米で中絶が合法化された。しかし、最高裁は2022年にこの判断を覆し、各州の判断で中絶を禁止できるとした。米CNNによると、判決以降に保守色が強い14州が中絶を禁止し、7州が規制を強化した。残りの29州は、胎児が母体外で生存できる(妊娠22週ごろ)前までの中絶を容認している。

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