ブリンケン米国務長官(中央)は合意をまとめようと必死だ(6月12日、ドーハ) IBRAHEEM AL OMARIーPOOLーREUTERS
<3万7000人のパレスチナ人が命を落としても、ハマスが停戦案をひっくり返す背景には、内部の戦争継続派と和平派の争いがある>
なぜ「イエス」と言えないのか──。アントニー・ブリンケン米国務長官は6月12日、パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスに対して不満をにじませた。
昨年10月7日にハマスがイスラエルを襲撃したことをきっかけに始まったガザ戦争で、ようやく停戦案がまとまりかけてきたのに、ハマスが回答を遅らせ、さらに大がかりな変更を求めてきたというのだ。ブリンケンの発言は、カタールのムハンマド首相兼外相の楽観論とは対照的だった。
ハマスが今回、停戦案に変更を求めてきたのは、指導部内における意見の対立のせいかもしれない。
米ウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)は6月10日、ガザ地区指導者のヤヒヤ・シンワールから、カタール在住の政治部門指導者のイスマイル・ハニヤに宛てたメッセージを公開する形で、戦争の継続と政治戦略全般について、2人の間に根本的な意見の対立があることを報じた。
一方、ベンヤミン・ネタニヤフ首相率いるイスラエルの戦時内閣でも、中道のベニー・ガンツ前国防相が政権を離脱するなど足並みの乱れが見られる。ただ、イスラエル軍が8日、ガザに拘束されていた人質4人の救出に成功したことで、ガンツの離脱はさほど目立たなくなった。
ガザ保健省によると、この救出作戦はパレスチナ側の死者210~274人、負傷者698人を出す惨事を引き起こした。だが、ここ数カ月は支持率が低下する一方だったネタニヤフにとっては、国民に誇れる貴重な軍事的成果となった。
ネタニヤフもヨアブ・ガラント国防相も、今回の救出作戦を1976年のエンテベ空港奇襲作戦になぞらえて、その意義を強調する。
これは多数のイスラエル人を乗せ、パレスチナ解放組織によってハイジャックされた民間機がウガンダのエンテベ空港でイスラエル軍の突入を受け、多くの人質が解放された事件だ(このとき将校だったネタニヤフの兄ヨナタンが命を落としている)。
今回の人質救出作戦の成功で、ネタニヤフはこれまでになく自信を深めている。中道のガンツの離脱で政権の右傾化が懸念されたが、人質救出によりネタニヤフは極右の連立相手に対して立場が強くなり、停戦交渉にも新たな追い風を感じているようだ。
イスラエルの民放チャンネル12の報道によると、イスラエル側が示した停戦案は3段階からなる。第1段階で戦闘行為は即時停止され、イスラエル軍はガザの人口密集地域から撤退する。ガザの避難民も帰還を開始する。
ガザ戦争は「良い戦争」
第2段階では、生存しているイスラエルの人質が全員解放される。ただし、死亡者については第3段階で遺体が返還される。それと引き換えに、イスラエルの刑務所に収監されている多数のパレスチナ人が釈放される。第3段階では、ガザの復興も始まる。
ところが、ハマスが新たに示した対案は、3段階の枠組みそのものを変えようとしている。さらに、停戦合意後すぐに、人口密集地だけでなくガザ全土からイスラエル軍が撤退することを要求する。
イスラエル人の人質解放についても、生存者を優先することはなく、生死にかかわらず人質1人につき数十人のパレスチナ人収監者の釈放を要求する。これらの対案について、ハマスはロシアや中国、トルコなど数カ国の支持を確保して、イスラエルに圧力をかけたい考えのようだ。
ハマスが新たな要求を突き付けたのは、現在の指導部では、政治的な駆け引きにたけたハニヤよりも、戦争を仕切るシンワールの立場が上であることを示唆している。
WSJの報道によれば、パレスチナの立場を世界にアピールできたという意味で、この戦争は「良い戦争」だと、シンワールは考えている。
そのために3万7000人のパレスチナ人が命を落としたのも「必要な犠牲」だったとし、少なくともあと数カ月は戦争を続けるだけの武器と人員があると主張している。
これに対してハニヤは、戦後のことを考えている。武装組織ではなく政治組織としてのハマスの機能を維持し、ロシアと中国の後ろ盾を得ながら、パレスチナ国家樹立に向けて結束を図りたいようだ。
だが、シンワールはあくまで戦争を続けたがっている。彼は、ネタニヤフがハマスの新停戦案をのむことは困難だと知っており、それを口実に(つまり停戦合意がまとまらないのはイスラエルのせいだと主張して)戦争を継続できると考えている。
ネタニヤフに戦後のガザの現実的な統治計画がないことは、かねてからそれを求めていたガンツの抗議の政権離脱で改めて浮き彫りになった。元軍人のガンツは、軍事力だけではハマスに勝てないことを知っている。
「戦後はパレスチナ自治政府がガザを統治する」と定めていなければ、どんな停戦合意もハマスに好都合になる。
ネタニヤフの優柔不断はよく知られている。米政府の圧力にもかかわらず、当初の停戦案の実施を遅らせているうちに北部ではレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラとの衝突がエスカレートし、イスラエルは事実上2つの戦線を抱えることになった。
ハマスが昨年10月にイスラエルを襲撃したのは、ハニヤではなくシンワールのアイデアだった。そしてシンワールは明らかに戦争を続けたがっている。ネタニヤフが4人の人質救出に酔っていられる時間はさほどないはずだ。
John Strawson,Emeritus Professor of Law,University of East London
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