モディは勝利宣言をしたが、単独過半数はならず、野党の躍進を許すことに SANCHIT KHANNAーHINDUSTAN TIMESーSIPA USAーREUTERS

<総選挙の結果は予想どおりBJPの勝利となったが、今後その勢いが下降線をたどるのは確実だ。BJP政権が長期化するほど、党内で自滅の種が芽を吹き始めた>

4月から1カ月半がかりで実施されてきたインド総選挙で、インド人民党(BJP)が勝利を収め、ナレンドラ・モディ首相が3期目を務めることがほぼ確実になった。現代インドの首相としては2人目の長期政権だ。

とはいえ、BJPはかなりの議席を失い、単独過半数は確保できなかった。このためモディは初めて連立を組み、連立相手に配慮した政権運営を迫られることになる。

それはインド議会で10年に及んだBJP一強時代が終わっただけでなく、BJPの勢いがピークを越えたことを意味する。1980年代後半以降のインド政治の特徴だった連立政権が戻ってくるのだ。

BJPが10年にわたりインド政治を牛耳ることができた理由はいくつかある。まず、モディというまれに見るカリスマ的なリーダーの存在。モディはその抜群のコミュニケーション能力により、有権者の心をがっちりつかんだ。

さらにヒンドゥー至上主義や、特に女性や貧困層をターゲットにした福祉政策、そしてパワフルな組織力が得票につながった。また、モディの闇の政治力と、まとまりを欠いた野党、そして莫大な選挙資金も長期にわたる一党支配に貢献した。

そんなBJPの圧倒的な覇権は、今後も長く続くかに見えた。だが、頂点の先にあるのは下降しかない。もちろん、BJPはまだしばらくは頂点付近にとどまるかもしれない。だが、その下降はもはや「起きるかどうか」ではなく、「いつになるか」の問題だ。

複数の政党が激しい競争を繰り広げるのは、民主主義政治の特徴の1つ。ところが実際には、驚くほど多くの国で1つの政党が長期にわたり政権を担ってきた。

日本の自由民主党やイタリアのキリスト教民主党、メキシコの制度的革命党(PRI)、ボツワナの民主党がいい例だろう。独立直後のインドの場合、国民会議派がそれだった。

これら支配的な政党は、権力を握っているときは無敵に見えるが、転落するときは、実にあっけなく転落する。経済発展や技術の進歩により、従来の経済構造や社会集団の力関係が変わったことがきっかけになることもある。

インドの場合、緑の革命(農業技術革新)により、国民会議派に長年無視されてきた中位カーストの農民が豊かになり、政治的発言力を強めた。その結果、人口の多い北インドで、国民会議派は相次ぎ敗北を喫するようになった。

製造業からサービス業へのシフトと、それに伴う労働組合の衰退も、それまで支配的だった中道左派政党の支持基盤を揺さぶった。

若年層の失業率の高さは深刻な問題だ(国民会議派青年部の昨夏のデモ) AYUSH SHARMAーANI PHOTOーREUTERS

BJPに潜む自滅の種

旧植民地国家では、その国を独立に導いた政党が特別な正統性を享受することが多い。だが、歳月がたつにつれて、その歴史的偉業は忘れられていく。

メキシコのPRIしかり、南アフリカのアフリカ民族会議(ANC)しかり。インドの国民会議派も同じ運命をたどった。国際情勢に起因する国家的な危機(経済危機や戦争など)も、長年支配的だった政党の衰退につながる。

ただ、多くの支配政党は、権力の座に長く居座るほど、内側から腐っていく。フランスの政治学者モーリス・デュベルジェはかつて、支配政党は「権力を握ることで疲弊し、活力を失い、動脈が硬化する」と言った。

「全ての支配は自滅の種を内包している」

BJP政権が長期化するほど、党内で自滅の種が芽を吹き始めた。なにしろBJPの決定的な強みはモディだけだ。国民会議派にもかつて、インディラ・ガンジー首相という他を圧倒するリーダーがいた。

モディとガンジーの人気は、それぞれの党の人気をはるかに上回っていた。

こうした圧倒的なリーダーの存在は、むしろ党にとってアキレス腱となる。BJPの場合、モディへの権力集中と党内民主主義の衰退、そして連邦政府に追従しない地方政府のリーダーたちが「自滅の種」となってきた。

野党から離反者を取り込もうとしたことも、BJP内の足並みが乱れ、日和見主義者が増える結果をもたらした。

モディ支配下で、野党議員の強制的な引き抜きは汚職の罪を問わないことを「餌」にして行われた。そうは言っても引き抜かれた議員が改心して清廉潔白になるわけではない。

残念ながら腐敗は今も政治をむしばんでいる。BJPは前々回の14年の総選挙で腐敗撲滅を打ち出して勝利したが、今年4月の世論調査では「前回の総選挙以降に汚職が増えたと思う」という回答が55%を占めた。

目先の利益に釣られて入党したくら替え組が、元からいる人間を押しのけて党の要職に就けば、党に忠実な古参はやる気をなくす。

「国民会議派から解放されたインド」をスローガンにしてきたBJPが、国民会議派の党体質に染まるのは時間の問題だった。

「勝利の技は敗北から学ぶ」というが、BJPはその逆だ。選挙で勝つたびに、批判の封殺や宗教的少数派の排除といった党の戦略は正しかったと見なされた。

自信過剰は「何をやっても許される」という勘違いを生む。その危うさを裏付けるように、インドの情報機関が北米でモディ批判者を黙らせようと暗躍しているという疑惑が浮上した。

BJPはその傲慢さ故に、自分たちの足をすくう3つの要因を見逃すことになった。

その1つは、インドの選挙制度では、政権与党は必ずしも国民の過半数の支持を得ていないという明白な事実だ。小選挙区制では死に票が多くなる。与党は政権批判の票が割れれば有利になるから、弱小野党の林立を望む。

BJPは力を持つにつれ権威主義的になり、野党とその指導者に圧力をかけた。結果、野党は弱体化する代わりに結束した。生存を懸けた戦いほどパワーが出るものはない。にわかづくりの野党連合は野合にすぎないと批判されたが、今回の総選挙でアンチBJP票の分散をある程度回避できた。

2つ目は、どんな政治理念にも賞味期限があること。第2次大戦後のケインズ式の大きな政府は4半世紀持った。それに取って代わった新自由主義は約30年。どちらも今や時代遅れだ。

インドでは世俗的で社会主義的な理念が半世紀近く持ったが、ご都合主義に傾いて支持を失い、多数派のヒンドゥー教徒の不満に乗じて台頭したBJPに支配基盤を切り崩された。

民主主義は死んでいない

だがヒンドゥー・ナショナリズムにも賞味期限はある。BJPは今回の総選挙に向けてヒンドゥー教の主要な神であるラーマ神ゆかりの地にあったモスク(イスラム礼拝所)の跡地に、ヒンドゥー教の大寺院を建設すると誓い、その約束を果たした。

だが、この「偉業」は期待したほど票につながらず、BJPはそのゆかりの地で自党候補が敗北するという屈辱を味わった。

大衆におもねることが支持率アップにつながるのは確かだが、インドは複雑なモザイク社会。有権者の要求も単純な二分法では色分けできない。

3つ目は、有権者を日常的に苦しめている諸問題はイデオロギーでは解決できないこと。インドの有権者の不満はこの国の経済社会構造の病弊に深く根差している。処方箋は一筋縄ではいかない。

最も厄介な症状はまともな雇用を十分に提供できないこと。学歴は立派なのにスキルは乏しいインド人がどんどん増える現状が、悲しいかなインドの教育制度の質の低さをあぶり出している。

インド経済は製造部門の強化に必死に取り組んでいる段階だ。そのため夢を描いて高等教育を受けた若者は不安定な雇用という壁にぶつかることになる。不遇をかこつ大勢の若者が一斉に怒りの声を上げる日がいずれ来るだろう。

製造部門ばかりか、インドが成功してきた唯一の部門である技術サービス部門でも、労働市場を一変させる技術革命が進行中だ。この状況では雇用確保はさらに困難になる。

経済が強固な成長を遂げても、過去のようにそれに伴って雇用が増えることは期待できない。しかもAI革命で政治的混乱が広がり、今後ますますポピュリズムの嵐が吹き荒れる雲行きだ。分断と対立をあおる政治形態の下では、将来を楽観視しにくい。

今回の総選挙は猛烈な熱波の中で実施され、人々は気候変動の容赦ない影響を嫌でも思い知らされた。特にインドの農業は気温上昇と降雨パターンの変化に大打撃を受けているが、情報技術産業で栄えるバンガロールが水不足に見舞われたように深刻な被害は都市部にも及ぶ。

インドではどの政党が政権を握っても、こうした難題の解決に手こずることになる。だが今回の総選挙には1つだけ救いがあった。

コメンテーターや専門家はインドの「民主主義の危機」に盛んに警鐘を鳴らしたが、有権者の判断を見ると、騒ぐほどではなさそうだ。何ならBJPに聞いてみるといい。

From Foreign Policy Magazine

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