被爆から11年後に結成された被爆者団体「長崎原爆青年乙女の会」のつどいが開かれ、参加者が核兵器廃絶の必要性を改めて訴えました。

長崎市平野町にある記念碑の前で開かれたつどいには、被爆者や中高生など60人以上が参加しました。

被爆者団体「長崎原爆青年乙女の会」は「長崎原爆乙女の会」と「長崎原爆青年の会」が合流して1956年に結成されました。

会員の多くがこの世を去り7~8人にまで減少していて、活動を次の世代につなごうと、おととしからは年に一度、つどいを開いています。

長崎原爆青年乙女の会の小峰秀孝会長(83)は「核兵器を威嚇し、使用もありうるとの発言では私みたいに被爆者は本当に身の毛もよだつ思いでございます」と述べています。

今年は山口仙二さんが1982年に被爆者の代表として初めて国連軍縮特別総会で演説したスピーチを、被爆者 山口彊さんのひ孫 長崎南山高校3年(被爆四世)の原田 晋之介さんが「私たち被爆者は訴えます 生命のある限り私は訴えつづけます ノー・モア・ヒロシマ ノー・モア・ナガサキ ノー・モア・ウァー ノー・モア・ヒバクシャ」と読み上げました。

参加した被爆者からは14日にアメリカが臨界前核実験を行ったことについて落胆や憤りの声が聞かれました。

被爆者で長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(83)は「アメリカがしたらロシアも中国も、また他の核保有国もする。自制をして核をなくそうということを呼びかけてほしいと思います」と述べています。

被爆者で長崎原爆青年乙女の会 小峰秀孝会長は「現実に悔しいけども手の打ちようがないというか、万物の霊長といわれる人間がなという思いが募ります」と話しています。

記念碑の脇には核兵器廃絶が実現したときに開封するカプセルが埋め込まれていて、参加した人たちは1日も早くその日が訪れるよう、活動を続けていくことを誓いました。

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