4月に行われた、日本、アメリカ、フィリピンの三か国による初の首脳会談。共同声明では、海洋進出を続ける中国の脅威を強調しました。
南シナ海で、いま何が起きているのか。対立の最前線を取材しました。

フィリピン漁船へ危険な接近を繰り返す中国船

4月に行われた、日本・アメリカ・フィリピンの三か国による初の首脳会談。 

岸田総理
「日米比3か国は太平洋で繋がれた海洋国家である」

共同声明では、海洋進出を続ける中国の脅威を強調した。

『南シナ海における中国の危険かつ攻撃的な行動について、深刻な懸念を表明する』

その南シナ海で、いま何が起きているのか。私たちが向かったのは、フィリピン・パラワン島の沖合およそ150km。多くの漁師が集まるフィリピンの排他的経済水域だ。しかし…

代田直章 記者
「いま午前6時になろうというところなんですが、はっきり見える距離に中国海警局の船が確認できます」

目の前に現れた中国海警局の船。この海域は中国も領有権を主張している。フィリピン漁船へ危険な接近を繰り返す中国船。漁もままならない状況だ。

代田記者
「漁船のホント目と鼻の先に中国海警局の船が迫っています。大丈夫なんでしょうか」

対立エスカレートの背景に…フィリピンの外交路線の転換

南シナ海での漁獲量は10年ほど前まで年間32万トンを超えていたが、近年は25万トンほどに落ち込んでいる。その要因の一つに、こうした中国による妨害が挙げられている。

漁師たちが暮らすパラワン島の村を訪ねた。

南シナ海の漁師、セザール・ボデゴンさん。収入は、いま1週間漁に出ても7000円程度、以前に比べてかなり減ったという。

セザール・ボデゴンさん
「漁に出るのはとても緊張します。中国船が何かしてきても誰も守ってくれません。中国が南シナ海を支配してしまえば、私たち漁師はすべてを失うでしょう」

シーレーンの要衝とされ、海底資源も豊富に眠る南シナ海は、中国やフィリピンのみならず、マレーシアやベトナムなど、沿岸諸国がそれぞれ領有権を主張している。  

中でも中国は、「九段(きゅうだん)線」という独自の境界線を引き、“歴史的権利がある”と主張してきた。その主張は2016年、国際的な仲裁裁判で退けられたのだが、中国はこの判決を無視。

フィリピンの排他的経済水域と重なるスプラトリー諸島では岩礁を埋め立て、いくつもの人工島を造成。滑走路やミサイル施設を整備し、軍事拠点化を進めた。いま、両国はかつてない緊張状態にあるという。

4月30日も、中国海警局がフィリピン船に放水。さらに船を衝突させる事案が起こっている。対立がエスカレートしている背景にあるのは、フィリピンの外交路線の転換だ。

前のドゥテルテ政権は、同盟国アメリカと距離を置き、中国との経済協力を推し進めた。ただ、その裏では、中国の海洋進出を黙認していたと言われている。

前政権で大統領報道官を務めたハリー・ロケ氏。彼は、私たちのインタビューに応じ、当時、中国との間に“紳士協定”があったことを明かした。

元大統領報道官 ハリー・ロケ氏
「現状を維持する“紳士協定”で、私たちは平和を手にしていました。中国からの投資や観光客も増えていたのです。今の緊張状態が続けば、軍事衝突する可能性があることを現政権が認識していると願うばかりです」

一方、今のマルコス大統領は、領土問題では中国に一切妥協しない姿勢を示し、アメリカとの関係強化を優先している。

「これがいま私たちの海で起きている現実」

いま中国とフィリピンの、対立の最前線ともいわれているのが、スプラトリー諸島のシエラマドレ号だ。フィリピンが実効支配の拠点として、意図的に座礁させた古い軍艦。ここに兵士が常駐している。そして、この軍艦の撤去を求める中国との間で、たびたび小競り合いが起こっている。

2024年3月にも、シエラマドレ号に物資を運んでいたフィリピンの補給船が放水を浴びせられた。その時の船内の映像をJNNは入手した。

乗組員「もうやめてくれ!神様!」
乗組員「救護班はいるか!」

乗組員4人が負傷。船は航行不能となった。

「(中国は)私たちのフィリピンから出ていけ!」

フィリピンで対中感情が悪化する中、ある市民団体が前例のないプロジェクトを立ち上げた。発起人のひとり、ラファエラ・デービッドさん。シエラマドレ号に補給物資を届けるという、民間人としては初めての試みだ。

プロジェクトの発起人 ラファエラ・デービッドさん
「この計画は、自分たちの海を守るために何か貢献したいと考えている市民たちが支えています」

深夜のパラワン島から出発。私たちは、このプロジェクトに同行した。

村橋佑一郎 記者
「今からですね、南シナ海に向かうために大型の民間船に乗り換えていきます。このように重装備した沿岸警備隊の隊員もいますね」

シエラマドレ号までは、丸2日かかる航程だ。船上での体感温度は35℃を超え、暑さのあまり倒れてしまう人も。過酷な旅だが、学生や会社員、漁師などラファエラさんの呼びかけにたくさんのボランティアが集まっていた。

同じ時、近くの海域で、またしても中国との小競り合いが起こった。フィリピン船への放水。さらに、両国の船が衝突する事案も発生した。

村橋佑一郎 記者
「中国艦船が南シナ海でフィリピン船に放水したとの情報が入りまして、この船内でも緊張感が高まっています」

そして、出港からおよそ15時間。護衛している沿岸警備隊の船の向こうに中国の艦船が姿を見せた。

村橋佑一郎 記者
「あちら、中国海軍の軍艦だということです。こちらに近づいてきていますね」

中国のミサイル駆逐艦だ。船内は一気に緊迫する。さらに前方には、進路を塞ぐように中国海警局の船が。気が付けば、私たちは中国船4隻に囲まれていた。

フィリピンの沿岸警備隊から無線が入る。

フィリピン沿岸警備隊からの無線
「ラファエラさん、針路を左側にしてください。そのままいけば中国海軍とぶつかってしまいます」
船長
「中国側からの無線や通信は何もない。どんどん近づいてきている」
ラファエラさん
「ちょっと深呼吸しましょう」

このまま進めば衝突する危険性が高い。ラファエラさんは計画をあきらめ、引き返すことを決めた。

ラファエラさん
「中国の行動はとても腹立たしいです。これがいま私たちの海で起きている現実なのだと失望しています」

「偶発的な武力衝突」に不安の声

中国側のこうした威圧的な行動は、武力攻撃には至らない「グレーゾーン戦術」と呼ばれている。しかし過去には、小競り合いがきっかけで武力衝突に発展したこともある。

南シナ海を挟んで、フィリピンの西側にある国、ベトナム。かつて、中国と領有権をめぐり軍事衝突があった。その生存者を訪ねた。

レ・ミン・トアさんは、1988年に起きたその戦闘で生き残った、数少ないベトナム兵のひとりだ。当時何があったのか、カメラの前で初めて証言した。

元ベトナム兵 レ・ミン・トアさん
「中国船は最初、拡声器で『ここは中国の領土だ、ベトナム人は立ち去れ!』と威嚇していただけでした」

1988年3月、スプラトリー諸島の岩礁で工事をしていたベトナム兵が、その岩礁に国旗を立てた。このとき、ボートで近づいてきた中国兵との小競り合いをきっかけに戦闘が始まったという。

レ・ミン・トアさん
「上官の『同志諸君、戦闘準備だ!』と叫ぶ声が聞こえたと思ったら中国の艦船から砲弾が雨のように飛んできたのです」

中国軍は浅瀬にいたベトナム兵を容赦なく銃撃。ベトナム側は70人を超える死傷者を出した。

レ・ミン・トアさん
「足には銃弾の破片が刺さり、背中全体に火傷を負って意識を失いました。気が付くと負傷した8人の仲間とともに中国船の上で縛られていたのです」

中国の刑務所に収容されたトアさんたちは、3年後の中国とベトナムの国交正常化まで、帰国することができなかった。

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