「国母」と慕われるスーチーは反軍政の諸勢力を束ねる精神的支柱だが PEERAPON BOONYAKIATーSOPA IMAGESーSIPA USAーREUTERS

<スーチーは首都ネピドーの刑務所から移送されたとされるが、所在が不明となっている。内戦でばらばらに分断されるミャンマーと同氏の行方>

ミャンマーの旧正月であるティンジャンの最後の日である4月16日、国内メディアがスクープを伝えた。

2021年に国軍に拘束された民主化運動の指導者アウンサンスーチー(78)が、軍政下で建設された首都ネピドーの刑務所から「酷暑」のために移送されたというのだ。

東南アジアを襲った熱波のせいで移送の日の4月16日には、ネピドーの最高気温は40度に達した。国軍は「大事を取って」年配の囚人を移送したと発表したが、スーチーの所在は明らかにしなかった。

ヤンゴンの自宅で軟禁されているとの報道もあるが、ロンドンに住むスーチーの息子のキム・アリスは懐疑的だ。母親は「まだ刑務所にいるか、軍幹部の家にいるだろう」と、CNNに語った。

彼によれば、移送は人道的ジェスチャーではなく、戦術的な動きとみられる。国軍と反政府勢力との戦闘がネピドー近くまで広がれば、スーチーを「交渉カード」として使う気だろう、というのだ。

国軍は4月半ばにタイとの国境地帯で大敗を喫した。地元の武装勢力が連携して国軍の前哨基地を奪ったのだ。

カレン民族同盟の武装組織は川を挟んでタイと接する貿易の要衝ミャワディを掌握したと宣言。この町を経由するタイとミャンマーの貿易額は年間10億ドル超にも上る。

スーチーが移送されたのはミャワディ陥落の数日後だが、この2つの出来事に直接的な関係があるかは不明だ。

タイのセター・タウィシン首相は、ミャンマーの軍政は「やや劣勢に追い込まれ始めて」いて、交渉に応じる可能性があると、ロイター通信に語った。

だが案に相違して、その直後に現地の情勢はひっくり返った。カレン族の武装勢力の指導者が突然、国軍側に寝返り、国軍は4月24日にミャワディを奪還したのだ。

スーチー移送は中国政府の差し金ではないかとの見方もある。中国外務省の鄧錫軍(トン・シーチュン)アジア担当特使が「平和と安定」について協議するため4月上旬にネピドーを訪問した。

「特別扱いされたくない」

国境地帯が無法地帯と化し、犯罪組織や武装勢力がのさばれば、中国には頭痛の種となる。今年1月にはミャンマー北部のコーカン地区からの流れ弾が中国の雲南省に落下し、5人が負傷する事件も起きた。

中国は国境地帯を「できる限り安定」させたがっていると、カンボジア王立アカデミーの国際関係学者ディグビー・ジェームズ・レンは言う。

ミャンマーは今も、ばらばらに分断されたままだ。国土の中央部は軍政が支配しているが、周縁部は少数民族の武装勢力、民主派の活動家、麻薬密輸組織など諸勢力がしのぎを削り、絶えず勢力図が変わる。

国軍に寝返ったカレン族の指導者ソウチットトゥは今、ミャワディを拠点に巨大な違法ビジネスを牛耳っているとみられる。

4月下旬には再び熱波がミャンマーを襲った。ネピドーの刑務所はコンクリートブロックにブリキ屋根の建物だ。スーチーの元経済顧問で、この刑務所に収監されたことがあるショーン・ターネルによると、夏は地獄の釜ゆで並みらしい。

スーチーは独房にエアコンを付けようかとの申し出を断ったと、ターネルは2月にニッケイ・アジアに語った。特別扱いされたくない、というのがその理由だ。

From thediplomat.com

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